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2016年4月 9日 (土)

朝鮮通信使紀行 杉洋子

朝鮮通信使紀行 杉洋子

仲尾先生の朝鮮通信使ではかなり偏った印象だったので違う方の朝鮮通信使の本を読んでみました。

この杉氏の朝鮮通信使紀行は読売新聞で連載された記事をまとめたものです。

紀行となってますがまさに杉氏が朝鮮通信使がたどった道のりをなぞるように旅をして、現地で今も残る通信使の史跡や話題、そしてその場所にまつわる当時の朝鮮通信使にまつわる出来事を紹介するという内容になってます。

新聞連載用の話なので、歴史的な細かい事実関係を追いかけるというより、朝鮮通信使が立ち寄った土地に関することを通信使を絡めて紹介する形なのですごく読みやすいです。

仲尾先生は朝鮮通信使が日本に多大な影響を与えたかのように書いていたし、朝鮮通信使は江戸幕府と対等な付き合いをしていたと言いたかったようですが、杉氏ははじめに朝鮮通信使の使命を「将軍職の就任祝いである」と書いている。
まあそういうことですよ。
前にも書きましたが、朝鮮通信使は江戸まで行ってるけど、日本側はプサンまでしか入れてない。これは杉氏も言ってるが、李氏朝鮮側が日本人に再び侵略されることを恐れてソウルまでの入国を拒否してるのであって、逆に日本側は江戸城まで迎え入れて朝鮮侵略の意思がないことを示してるし、朝鮮人に全部さらけ出しても朝鮮から侵略される恐れはない、と完全に国力の違いを見せてる証拠ではないかと思われます。

杉氏も朝鮮通信使が日本国内を通過するときに民衆かが見物に集まって今でも朝鮮踊りのような祭りが残ってる地域があるくらい大きな出来事だと書いている。
確かに通信使が通る町ではものすごい人が見物に訪れたようですが、それは今で言うところの万国博覧会を見に行くくらいの物珍しさからだと思う。

だから江戸時代の人にとって外国使節を見る機会なんて一生に一度あるかないかというすごい出来事だということはわかるけど、それが日本の庶民や江戸幕府に多大な影響を与えたという意味とは違うと思う。

それでも鎖国政策を取っていた江戸幕府にとって、長崎でオランダ、中国を通しての世界情勢を知る手段と同じように朝鮮通信使を通しての外国情勢分析という意味は少なからずあったのでしょう。

しかしこの本では、日本側の朝鮮通信使に対する過剰な接待ぶりが描かれてますが、このことの意味は、江戸幕府が朝鮮に対しての日本の圧倒的な繁栄ぶりを見せつけるということもあったのではないかな。ものすごい接待で国力を見せ付けて、日本侵略を考えさせない。これは中国の冊法体制をまねて江戸幕府が李氏朝鮮に対して行っていたということじゃないのかな。

今の日韓関係と朝鮮通信使は直接は関係ないですが、日本と朝鮮半島の歴史において、江戸時代は李氏朝鮮が幕府の代替わりに毎度毎度挨拶に来ていたという歴史は知っておいてもいいでしょう。

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