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2016年4月

2016年4月19日 (火)

ロレンゾはドゥカティ!

ついに噂話が正式発表されました。

今年のシーズン終了まではヤマハで、バレンシア後はドゥカティに移籍するようです。バレンシアテストではロレンゾはドゥカティに乗るでしょうね。

ヤマハファンとしてはロレンゾにはずっとヤマハで走ってほしかった。
しかしなぜかファンが少ないように感じてしまうロレンゾのことはこれからも応援していきますよ。なんといってもあの正確でスムーズなライディングはすごい!

このロレンゾの移籍の理由はどうなんでしょうか?ほんとのところは語ってくれないでしょうから勝手に想像して書いちゃいますよ。
僕の思うには、開幕前にいきなり発表されたロッシのヤマハ契約2年延長の発表が大きいのではないかと思いますね。
去年終盤からのロッシの態度はちょっとmotoGPクラスのライダーからひんしゅくを買ってるんじゃないかと思いますよ。今季の表彰台を見ても、ロレンゾとマルケスはロッシの方には見向きもしないですからね。
あれだけロレンゾに口撃してマルケスは危険な行為で押し出すようなことをしたライダーはレジェンドといえどもリスペクトできないんじゃないかと思います。
今年はチームのピットも同じヤマハなのに仕切りがあって直接は交流がない!そのような一緒には働けないと思ってるライダーと先にヤマハが契約してしまったことに対してロレンゾがあきれて出て行ってしまったのではないかと思ってしまいます。
ポジティブな理由としては、実際問題として、ドゥカティのマシンがすごく速くなってる。トップスピードは以前から速かったわけだけど、去年あたりからはシーズン通してコーナーリングも良く、上位で何度もフィニッシュしてる。
ドゥカティの安定した速さを見れば、自分なら今のドゥカティなら十分勝てると判断してもおかしくはないですね。ケーシー以来のドゥカティでのチャンピオン登場を見るのもレースファンにはおもしろいかも。

さてこれで2017年のシートは、ヤマハのロッシ、ドゥカティのロレンゾが発表されたわけで、ヤマハの一つが空きで、逆にドゥカティはダブル・アンドレアのどちらかは移籍決定という状況になりました。
ヤマハの一枠はテック3のポルがもともとヤマハ契約ということなので繰り上げ当選するという見方が順当か?
ドゥカティで残留できるのはどちらでしょう?僕の中ではドヴィジオーゾかな。
一発の速さはイアンノーネの方がありそうな気もするし、勢いもあるんだけど、いかんせん転倒が多いし、しかもアルゼンチンではダブル表彰台のチャンスでドヴィジオーゾを巻き込んでやってしまった。こういうイメージがかなりマイナス方向になりますね。ドヴィジオーゾの方はやっぱり安定して速い。

ホンダはマルケスとダニで行くでしょうからそのままかな。ロレンゾの枠にダニが・・・ないか?

テック3はスミスのKTM流出は決まってるし、ポルもワークスに行くとなると二つともシートが空いちゃいますね。これはここのシートを狙う人が誰になるか楽しみです。ザルコあたりがテック3に来ないかな~アレックス・リンスかアレックス・ローズでもいいよ。

まだシーズン始まったばかりでもう来季のラインナップ予想とは気が早すぎますが、まずは今年のシーズンがどうなるかも非常に楽しみです。

2016年4月15日 (金)

摂津国 竹林寺

摂津国八十八所 第三十番 竹林寺

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近代的なビルが竹林寺。

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建物の一階に額がかかってます。納経はこの右に窓口があります。

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入り口のそばにあるお地蔵さん。

所在地:大阪市天王寺区勝山一丁目
四天王寺東門の東へすぐ

もとは千日前にあったんですよ。自分は無線が当たって「竹林寺前で」と言われてわからなかったので無線室に聞きなおしたのでよく覚える。それでネット上の地図やストリートビューで調べたらそこには竹林寺がなかった。
調べたら移転してこちらに移ってることが分かった。もとの千日前の竹林寺跡はボーリング場か!?

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摂津国御朱印

四天王寺 日想観 28年春分

平成二十八年春分の四天王寺 日想観

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日没前の5時20分ころから西門のところで法要が始まります。
御導師に続いて文言や般若心教を唱えます。
一連のことが終わると御導師のお話がちょっとあります。
話によると、この日想観は十数年前に復活された法要だそうです。はじめは十数人しかいなかったそうですが今回はどうでしょう?千人近く参加されていたのではないかと思いますね。僕が初めて参加した数年前の時は雨だったというのもあるのでしょうが、数十人しかいなかったので、急激に参加人数は増えてますね!

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今回も運よく晴れで西門にくっきり夕日が落ちて行きました。このように夕日が下まできれいに見えることの方が少ないのでほんとよかった。

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毎回夕日はきれいですがカメラの技術が足りません。

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こちらは四天王寺東門。

宝塚海軍航空隊・桜ケ丘慈母観音

宝塚海軍航空隊の訓練生が鳴門海峡で米軍機の空襲で犠牲になりました。
その悲劇を忘れないように淡路島に慈母観音と石碑等が置かれた桜ケ丘公園があります。
先に読んだ本で終戦間際に大規模な空襲ではなくたった一機の米軍機にやられた悲劇は本当に痛ましいと思いました。
終戦まで2週間ほど。内陸の瀬戸内海で宝塚海軍飛行隊の訓練生が悲劇にあって眠っているところに行ってみようと思い行ってきました。
宝塚を象徴する宝塚歌劇の大劇場が終戦までの約1年を海軍の訓練施設として接収され、その訓練生の約80名の最後の地は淡路島ですが、宝塚の歴史としても忘れてはいけないのではないかと思うわけです。

現地は桜ケ丘公園として整備されているということなのでそこを目指したのですが、ホテルアナガ入口を過ぎたところに「慈母観音」の標識が見えたのでそちらに入って行きました。
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うめ丸ホテルの横を通り建物の裏側に行くと駐車場になっていてこの看板があります。スペースはたくさんあるのでここに車を止めて看板の方向へ行きました。

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公園への入り口の看板があり通路が続いてるので入っていきます。

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すると左手に桜ケ丘公園と慈母観音が見えてきます。
こちらから行くと階段は無いです。


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桜があるうちにと思っていったのですが、桜の木がたくさんあるという感じではなかった。
慈母観音と手前が一人一人の名前が書いてある石碑。

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宝塚海軍航空隊の説明板。

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慈母観音。

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石碑はこの他にもある。

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宝塚最後の予科練や他の人のブログで紹介されてる桜ケ丘公園の入り口はこちらです。
ここはホテルアナガの方へ入ってすぐになります。本では「ここからの階段はきつく年寄りにはしんどい」というふうに紹介されてましたが、一番初めの画像のところからの入り口ができてるので、現在はこちらからの階段を上らなくても公園にいけます。


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下の入り口から公園への石段。この階段の途中にも宝塚海軍航空隊の石碑がありました。

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公園近くの春日寺。航空隊の犠牲者が運び込まれたというお寺です。

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道路沿いに駐車場がありました。

近くの道の駅からの鳴門大橋。午前中の雨で霧に浮かぶように見えたました。
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2016年4月 9日 (土)

朝鮮通信使紀行 杉洋子

朝鮮通信使紀行 杉洋子

仲尾先生の朝鮮通信使ではかなり偏った印象だったので違う方の朝鮮通信使の本を読んでみました。

この杉氏の朝鮮通信使紀行は読売新聞で連載された記事をまとめたものです。

紀行となってますがまさに杉氏が朝鮮通信使がたどった道のりをなぞるように旅をして、現地で今も残る通信使の史跡や話題、そしてその場所にまつわる当時の朝鮮通信使にまつわる出来事を紹介するという内容になってます。

新聞連載用の話なので、歴史的な細かい事実関係を追いかけるというより、朝鮮通信使が立ち寄った土地に関することを通信使を絡めて紹介する形なのですごく読みやすいです。

仲尾先生は朝鮮通信使が日本に多大な影響を与えたかのように書いていたし、朝鮮通信使は江戸幕府と対等な付き合いをしていたと言いたかったようですが、杉氏ははじめに朝鮮通信使の使命を「将軍職の就任祝いである」と書いている。
まあそういうことですよ。
前にも書きましたが、朝鮮通信使は江戸まで行ってるけど、日本側はプサンまでしか入れてない。これは杉氏も言ってるが、李氏朝鮮側が日本人に再び侵略されることを恐れてソウルまでの入国を拒否してるのであって、逆に日本側は江戸城まで迎え入れて朝鮮侵略の意思がないことを示してるし、朝鮮人に全部さらけ出しても朝鮮から侵略される恐れはない、と完全に国力の違いを見せてる証拠ではないかと思われます。

杉氏も朝鮮通信使が日本国内を通過するときに民衆かが見物に集まって今でも朝鮮踊りのような祭りが残ってる地域があるくらい大きな出来事だと書いている。
確かに通信使が通る町ではものすごい人が見物に訪れたようですが、それは今で言うところの万国博覧会を見に行くくらいの物珍しさからだと思う。

だから江戸時代の人にとって外国使節を見る機会なんて一生に一度あるかないかというすごい出来事だということはわかるけど、それが日本の庶民や江戸幕府に多大な影響を与えたという意味とは違うと思う。

それでも鎖国政策を取っていた江戸幕府にとって、長崎でオランダ、中国を通しての世界情勢を知る手段と同じように朝鮮通信使を通しての外国情勢分析という意味は少なからずあったのでしょう。

しかしこの本では、日本側の朝鮮通信使に対する過剰な接待ぶりが描かれてますが、このことの意味は、江戸幕府が朝鮮に対しての日本の圧倒的な繁栄ぶりを見せつけるということもあったのではないかな。ものすごい接待で国力を見せ付けて、日本侵略を考えさせない。これは中国の冊法体制をまねて江戸幕府が李氏朝鮮に対して行っていたということじゃないのかな。

今の日韓関係と朝鮮通信使は直接は関係ないですが、日本と朝鮮半島の歴史において、江戸時代は李氏朝鮮が幕府の代替わりに毎度毎度挨拶に来ていたという歴史は知っておいてもいいでしょう。

2016年4月 2日 (土)

宝塚海軍航空隊跡地

最近知ったわけですが、宝塚大劇場は終戦の一年半ほど前から海軍の訓練施設として接収されていました。
跡地の石碑ぐらいはあるのかとネットで検索してみたら、どうも大劇場の敷地内にあるようで、確認に行ってきました。

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桜の下に石碑があります。
ここに3本この左に3本合計6本?
ここを紹介されてる方のブログ等では7本桜のはずなんですがもう一本はどこかな?
予科練の7つボタンで7本桜なんでちょっと気になる。

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石碑のアップ。以前はここにベンチもあったようですが今は無いようです。

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花のみちにある大劇場入り口。
この入り口をくぐりすぐ右の方へ行き駐車場のさくの手前に石碑があります。
ここまでは普通に入れますね。

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上の大劇場の入り口前にある小林一三先生の銅像。
阪急、宝塚といえば小林一三!

宝塚最後の予科練 木下博民

宝塚最後の予科練 木下博民

    鳴門事件と少年兵

この木下氏の書かれた「宝塚最後の予科練」は前半は、形谷さんという練習生の一カ月ちょっとの日記をもとに宝塚海軍航空隊のことを検証し、後半は木下氏が鳴門事件生存訓練生を追いかけたり現地淡路島と鳴門を訪ねる構成となっています。

先日読んだ「宝塚海軍航空隊」のこともちょっと触れられていますが、氏はこの「宝塚海軍航空隊」は”小説”であり内容には作者のフィクションがほとんどで、作者が戦争のことを表現するための題材として宝塚海軍航空隊と鳴門事件を取り上げたのであるという見方のようです。
僕は歴史小説という風に思いましたが、この「宝塚最後の予科練」を読んだ後は、やっぱりフィクションの割合の方が若干多いのかなという感じもしました。

さて木下氏の「宝塚最後の予科練」は作者が小説家ではなくて元帝国陸軍の帰還兵で、戦後は大手企業で活躍されたビジネスマンということで、歴史的事実を丁寧に追っていこうという姿勢で書かれていますね。

日記というのはやはり、何月何日 ○○をした。○○だった。などとその日の出来事を断片的にしか書いてないものです。
その日記の記述をもとに当時の海軍の生活や予科練、宝塚海軍航空隊の状況を解説してくれてます。
木下氏は陸軍出身なので海軍との用語や部隊生活、上官との間柄の違いなども具体的に書いてありますね。

「鳴門事件」とは終戦直前の8月2日、宝塚海軍航空隊の少年兵を乗せた船が、鳴門から淡路に渡る途中でアメリカ軍一機の銃撃で壊滅状態になった事件です。

戦争はどの部分を見ていっても酷いものです。それでも氏はこの鳴門事件が戦争の悲惨さや、やるせなさを凝縮してるんではないかということで掘り下げて調べていくわけです。

まず、終戦まで二週間というところで犠牲になったということ。そして”海軍の飛行兵”として予科練に入ったのに、すでに乗るべき飛行機もなく土木作業のために淡路に向かっていた。そして移動のタイミングの悪さ。
戦争においてのどうすることもできない矛盾がいっぱい重なって起こった悲劇は本当に悲しい出来事ですね。

この終戦間際の鳴門での悲劇の出発地が宝塚ということがほんとに驚きでした。
宝塚歌劇は華やかな世界ですが終戦までの一年半ほどは基地として使われ、そこの訓練生が鳴門で悲劇的な死を迎えたことを忘れないようにしたいです。

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