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2016年3月 1日 (火)

朝鮮通信使をよみなおす

朝鮮通信使をよみなおす 仲尾 宏
    「鎖国」史観を越えて

仲尾先生は日朝関係を中心に研究されてるのだと思います。著作を見ても朝鮮関係の本をたくさん出しておられます。
今回の「朝鮮通信使をよみなおす」は学術論文ではなくてシンポジウム等で発信したものをまとめたもののようです。

まず全体的に読みにくいです。
サブタイトルに「鎖国史観を越えて」とありますが、仲尾先生は、江戸時代の見方としての通説というか一般に理解されてる「鎖国」という見方とは違う角度から評価しようとしてる。その中での日朝関係を見ようとするわけですが、その先生が言うところの「鎖国史観」を無理に否定しようとする内容がちょっと無理があるように思う。
それよりも、批判を恐れずにもっと言うとですね、仲尾先生の考え方の基本は「朝鮮は偉大な国である」と言うところにあるのではないかとさえ思える。

学術論文ではないと”はじめに”の部分で断わってるので、歴史学としての先生の意見ではなくて、仲尾先生の考える「江戸時代の日朝関係と朝鮮通信使の本」として出したということですね。

全体的に日本や江戸幕府を無理に貶めるようなことはさすがにあまりないんですが、朝鮮を無理に立派な国に見せようとする記述ははじめから最後まで貫いてる。
シンポジウム等で聴衆に向かっての演説であれば、聞く側にそれほど知識がなければ、「なるほど朝鮮は江戸時代に日本に多大な影響を与えたんだな」とだますことができるかもしれないですが、本で読むとすごく違和感があって、突っ込みどころ満載な感じです。

仲尾先生は「鎖国史観を越えて」と言って江戸時代を鎖国時代とする見方をある意味偏った見方だと批判するが、先生の「朝鮮は偉大だ」という先入観による朝鮮通信使と江戸時代に対する見方もこれまた偏ってると言わざるを得ない。

第2章で江戸時代の「鎖国」についてのことを説明してますが、先生は江戸時代は「鎖国」ではない、なぜなら江戸幕府は「鎖国令」を出したわけではない。鎖国とは19世紀にはいって江戸幕府の制限・規制貿易を指して名付けられたからだ、と言ってる。
「江戸幕府が鎖国令を出してないから江戸時代は鎖国時代ではない」これは無理がある。というか言葉遊びですね。
どうも先生は左派系の人がよく使う問題のすり替えをしてるように見える。
去年大きな話題になった、安保法制を「戦争法案」と全く違う名前で呼ぶのと同じ匂いがする。
実際江戸時代は長崎でのみ貿易を許されて、日本人が自由に海外に出ることができず、外国人も自由に日本に入ることも動きまわることもできなかったわけだから、こういう状態を指して「鎖国」と呼んでるわけだから何の問題もないはず。「鎖国史観」を否定するのに「朝鮮通信使」とか北海道のアイヌとか今の沖縄の琉球王国との交流を出してくるけど、これもかなり無理がありますね。

細かい内容は覚えてないので、なんとなく覚えてることで違和感のあったことを書いていきます。

朝鮮通信使の評価ですが、これを先生は江戸幕府と朝鮮王朝との”対等”な付き合いだったとします。それはお互い朝鮮王と徳川将軍で対等な立場として国書をかわしてるからだとします。
しかし他の見方として、当時の日本側の幕府関係者や大名や僧侶、商人等々たくさんの人々が残した文書や日記にはたびたび「朝鮮の朝貢使」や「朝鮮入貢」などの記述がたくさんある。これはどういうことか?
江戸幕府の国書は一応外交使節団に対して失礼がないように朝鮮王の派遣して来た使節に対等に対応したのであって、当時の日本側の人たちは朝鮮通信使のことを「朝貢使節だ」と思っていたということです。
だから形式的には江戸幕府と朝鮮王朝は対等な関係としてたけど、実質的には「朝貢」であった、もしくは日本側は「朝貢」だと認識していた、というのが正当な評価になるのではないかと思う。

出島に来ていたオランダ商人が数人だけでしか江戸入城を許されなかったということを書いている。それに対して朝鮮通信使は毎回500人ほどが江戸まで来ていた。そして日本側はこの500人余りの朝鮮通信使を大名が莫大な費用を掛けて接待したとある。
この朝鮮通信使に対する日本側の接待の内容は、
どれほど各地の大名が苦労をして接待したかが書いてある。
これほどのもてなしをしていたということは、朝鮮通信使は日本にとって大切な使節団だった証拠だ、と言いたいようですが、中国には「有能なやつはもてなすな、無能なやつは盛大にもてなせ」的な言葉があるそうで、これがそのままあてはまると思う。
江戸幕府にとってオランダは自分たちより進んだ技術を持って侵略しに来てるから、大ぴらに日本国中を見せなかったのであり、朝鮮使節団には日本をたくさんの朝鮮人に見せても問題ないと江戸幕府が判断していたということだと僕は思う。要するに朝鮮が日本を侵略してくる心配などない小さい国だと江戸幕府が思ってたということです。

朝鮮通信使と日本人の交流についても、日本人が朝鮮人に書を沢山頼んだり、歌を詠みあったり、儒学の論争をしたということです。そして、初期のころは日本の儒学は朝鮮人には「大したことがない」と言われていたらしい。しかし江戸中期ころからは日本の儒学者のレベルも上がったとか。
まあ儒学や朱子学のことは僕自身全然わからないので評価しようがないですが、朝鮮側から見て日本の儒学者は大したことがなかった、朝鮮は進んだ学問を持っていたと言いたかったようです。
これもなんか違和感を覚えた。なんか江戸時代の学問は儒学、朱子学だけのように聞こえる。しかしどう考えても日本では江戸期以前から和歌は発達してるし、日本国内の学問や日本語での書物も当時からたくさんあった。だから儒学、朱子学だけ取り上げて日朝を比較するのはどうかな。
そもそも儒学も朱子学も中国の学問で、朝鮮の学問ではない!当時の朝鮮は中国語ができないと政権側に入れないのですよ。中国に対してどれほど忠誠を尽くせるかが立派である基準なんだから。だから朝鮮独自の学問は発展してないんじゃないですかね。このことは現在の韓国にも言えるんでないですか?日本側で中国語ができる人が少ないことを批判的に見てるようですが、日本国内で生活するのに中国語はいらないですからね。しかし朝鮮では偉くなるには中国語が必須だったわけです。だから儒学でどうこうはどうでもいい。

現代日本でも「今からは英語くらい話せないと役立たず」みたいなことをいう人がいますが、全然そんなことない。日本にいて日本で暮らすのに英語なんていらない。英語が必要になったら勉強すればいい、それだけのことです。日本人には英語ができる人が少ないから立派な国でない、という意見は相手にされないでしょう。
当時の朝鮮が中国語ができないと偉くなれなかったのは、中国の属国だったからですよ。

年号についてです。仲尾先生は朝鮮側からの目線で書いておられます。朝鮮通信使の動きについて年代を西暦や干支で書くのはまあいいでしょう、しかしですね、日本側のことを書くのに一七〇九(宝永六)として、先に西暦で書いてカッコ書きで邦暦を後に書くのは非常に違和感がある。やはり日本の出来事は邦暦で書いてカッコ書きで西暦を書いてほしい。この辺も、仲尾先生はどうしても日本が好きになれない感じの人なんでしょうか。
文禄の役等の歴史事件も「壬辰倭乱」と書くのもなんか違う感じがする。日本人向けとは思えない、わざとわかりにくくしてる気がする。

いろいろ書きましたが、仲尾先生の「朝鮮通信使は日本に多大な影響を残した」史観は気持ち悪い。歴史を直視すればそんな評価にならないはず。
逆に朝鮮通信使が日本のことを羨んでいたような記事はほとんど紹介してない。朝鮮通信使にとって都合の悪いことは全然書いてない、こういう一方的な史観こそ「越えないといけない」考えなんではないですか。

だいたい国と国の付き合いで、「対等」なんてありえない。国力が違うんだから、やっぱり影響力の大きい小さいはでてくる。しかし国力が違うからと言って相手を見下すというのは違う。相手を尊重しながら付き合うことが大事なのであって、無理に背伸びをして対等になろうとする方がだめだと思うけどな。
どうも先生は江戸時代の朝鮮通信使は対等に江戸幕府と付き合っていたのだから、現代の日韓関係も対等なお付き合いをしなけらばならないとでも言いたそうですが、現代はお互い独立国なんだから対等なお付き合いでしょ。逆に韓国が一方的に根拠もなく日本を見下してるように見えるのは僕だけか。

思い出したので追記。
確か本書の中で、「今まであまり顧みられなかった朝鮮通信使の対等な立場での外交を現在の日韓関係に役立てよう」的なことが書いてあった。この言葉は先生の言う「朝鮮通信使は江戸時代の日本に多大な影響を残した」という見方と矛盾する。なぜなら江戸時代の日本に多大な影響を及ぼしたのなら、その痕跡が現在日本に多く残ってるはずだし、その現代の朝鮮通信使の痕跡の研究がずーとなされてないとおかしい。明治維新や黒船来航などは日本人のだれもが知ってる歴史事件だし本もいっぱい出てる。それに比べ朝鮮通信使は学校教育の歴史ではほとんど触れられない、それに先生自体が「いままで顧みられなかった」と言ってる、いままで無視されてきたり学校で教えられてきてないということは、すなわち「朝鮮通信使は日本にはほとんど影響を与えなかった」というのが事実ではないのか。

あまりにも偏ってた朝鮮通信使史観だったので、他の先生の朝鮮通信使の本も読まなければいけなくなった。朝鮮通信使に疑問を覚えさせるという意味ではこの本は成功かな。

もうひとつ思い出したから追記。
「太平洋戦争」についてです。
第二次大戦のことですが、おおざっぱに言って、その中でも日本が主にアメリカと戦った戦争について「太平洋戦争」ということでだいたいあってるでしょう。戦場は太平洋から中国、インドシナ半島、マレー半島、インドネシア、その先もっと南方と広い地域になります。
普通日本人的には第二次大戦のことは「太平洋戦争」で通じるはず。
しかしですね、仲尾先生は「アジア太平洋戦争」と何度も書いてる。こんな表現初めて見た。他では聞いたことがない。
わざわざ「アジア」とつけて日本がアジア地域に酷いことをしたんだとというイメージを植え付けたいのか?
この本は朝鮮通信使なので、朝鮮半島の話だったわけだけど、太平洋戦争でアジア地域が戦場になったのは間違いないけど、朝鮮半島は太平洋戦争では大きな戦闘はなかったのですよ。さも太平洋戦争で朝鮮半島が破壊しつくされたようにイメージしたいのでしょうがそれは無理がある。台湾はアメリカ軍の北上で沖縄手前にある関係で戦場になってるが、アメリカ軍は確かフィリンピンから台湾を飛ばして一気に沖縄に来てないかな?この辺はあいまいで申し訳ない。
しかし朝鮮半島は日本軍とアメリカ軍の戦場にはなってない。
以前、外国のテレビ局が作った韓国の史跡の案内人を紹介する番組で、「韓国の古い寺院が破壊されたのは、まえの戦争で日本軍が破壊しつくしたからだと」韓国人ガイドが旅行者に説明しててびっくりした。
朝鮮半島がそれこそ何もかも南から北まで破壊されつくしたのは太平洋戦争後の朝鮮戦争で、朝鮮人同士が朝鮮半島を破壊したんですよ。その辺韓国人が知らなくて、朝鮮戦争より前の太平洋戦争で日本軍が破壊したことになってる。
そりゃこんな歴史認識じゃ日本とは価値観を共有できないというものでしょう。

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