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2015年3月

2015年3月22日 (日)

【レーサーズ】ロスマンズNSR Part1

レーサーズ・シリーズのロスマンズNSR500編です。

これはvol4なので結構前に出ていたのを今頃買いました。
やはりエディーファンとしては押さえておかないといけませね。

当時ヤマハのエースで’88年のチャンピオンになったばかりのエディー・ローソンがホンダに移籍するというのは衝撃的なニュースでした。

そして、エディーがキャラクターの違うNSR500を乗りこなすことができるのかな?なんてみんな思ったものでしたが、バイクもメーカーも変えてみごとに連続チャンピオンになったエディーのすごさを再認識させられたシーズンでした。

今回レーサーズではエディーがチャンピオンになった’89NSRとガードナーがチャンピオンになった’87NSRをメインに特集しています。
やっぱりロスマンズカラーはかっこいいな~。
80~90年代はタバコスポンサー全盛時代で、カラーリングも華やかだったように思います。
ヤマハのマールボロ対ホンダのロスマンズという解りやすい戦いでした。

’89年シーズンはガードナーがけがをしたというのも大きかったのでしょうが、エディーの車作りにホンダが全力で応えたというのがよく解りますね。

そして現在スーパーバイクの解説をしてる八代氏の当時を振り返ったレポートも内容が濃くていいですね。
八代さんはやっぱりマシンの分析力と開発能力があるんですね。それに比べてガードナーは天才的なライディングでチャンピオンになったんですね。ガードナーの開発能力はそれほどでもなかったと。

最近ハセガワさんが80年代後半頃のGPレーサーをプラモデルかしてるから、レーサーズとあわせてものすごく気になる。当時を知ってるレースファンにはたまりませんね~

2015年3月 9日 (月)

西国三十三所 岡寺

西国三十三所観音霊場めぐり 第七番 岡寺です。

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岡寺山門。

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山門から石段を登り上へ。

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本堂。

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本堂から奥の院方面に行くと寺域を回れるようになってました。
奥の院入り口の十三重塔。

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奥の院から三重塔への道からの本堂。

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三重塔。

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本堂側からの三重塔。

岡寺の参道を出て駐車場側へ曲がるところをまっすぐ行くと神社があります。
その神社の手前が古くは岡寺があったところにようです。

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西国御朱印

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西国御朱印

所在地:奈良県高市郡明日香村岡806

壺坂寺から岡寺へはキトラ古墳横をすぎて右へ曲がり、祝戸地区から石舞台の方を抜けていきました。石舞台の所から北へ行くと旧の道の上を抜けて岡寺駐車場に出ます。駐車場からはちょっと歩いて山門です。
飛鳥資料館の手前、奥山の交差点から南下。

西国三十三所 壺坂寺

西国三十三所観音霊場めぐりの第六番札所 壺坂寺です。

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下の駐車場に止めて、歩いて上に上がったところからの壺坂寺。
入山料を払って中に入り、すぐの建物は拝観できて、いろいろな仏像が近くで見ることができました。

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山門。
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多宝塔。
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巨大な石造物。ここ壺坂寺はインドと深い交流があるようです。
それと石像がたくさんありますね。

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三重塔。
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八角円堂。納経所、お守り等の売り場前からこの八角円堂の中に入れます。
写経を納めるところも中に入ったところにありました。
八角堂の中には仏像等があり、ちょっとした博物館のようでありました。

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八角円堂から舞台に出ると二上山展望台になっておりまして、小雨が降る天気でしたが、雲海に浮かぶ二上山が見れました。
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巨大観音石造です。インドの石工が作った二十メートルの石造。
めっちゃでかいです。

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巨大石像の下にはこれまた巨大涅槃石造もあります。
寺域も広いしたくさんの石像や仏像があり見どころの多いお寺でございます。

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西国御朱印

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西国御朱印

所在地:奈良県高市群高取町壺阪3

国道169号線明日香村をさらに南下、清水谷の交差点を左折、しばらく行くと駐車場が出てくる。

【レーサーズ】 ’89WGP500

レーサーズの特別編ですね。
基本的にはバイクを取り上げるシリーズですが今回は’89シーズンを戦ったローソン、レイニー、シュワンツの3人の死闘を特集。

これも当時レースを見ていた人間にとっては外せない!

この年の注目はなんといっても前年度チャンピオンだったヤマハのエディー・ローソンがロスマンズ・ホンダに移籍して連続チャンピオンが獲れるのか!?ということだったように思います。

いつも言ってますが、僕はヤマハファンなんですが、ライダーとしてのエディー・ローソンが好きです。
ミニバイクレースでもローソンのライディングフォームをまねて走ってたくらいです。

そのヤマハのローソンがライバルのホンダに移籍したのは衝撃でした。
そしていかにローソンと言っても、全く別物のマシンと思われるホンダのNSRに乗った1年目から成績を残すのは難しいだろうというのが大方の見方だったのでは無いでしょうかね。

このシーズンの3人のトップライダーの1戦ごとの戦いをインタビューで構成されている今回の特集は、1戦1戦の戦いがよみがえって読みごたえがありますね。

そしてローソンは大方の予想を裏切ってみごとにホンダに移籍しても連続チャンピオンになってしまう!

まだこの’89NSRのレーサーズは買ってないのでいけませんね・・・

そして僕はプラモも作るわけですが、プラモメーカーのサイトをチェックしたらなんとこの’89NSRがハセガワさんから出てるじゃないですか!

ん~なんかぼくを狙い撃ちの企画がどんどん進行してるようで怖いですね(笑)

【レーサーズ】’90 YZR250

レーサーズで’90 YZR250が出ました。

しかもゼッケン19、ジョン・コシンスキー仕様の特集。
ちょうどこのころは僕もYSR50でミニバイクレースなんかしてたし、一番レースに興味があった時期ではないかな。

もともとヤマハファンだし、彗星のごとく現れてチャンピオンを取ったコシンスキーは今でも大好きなライダーです。

この’90 YZR250が二軸クランクの最後で「YZR250」というバイク名もここで終了ですよね。このあとはTZMになっちゃったんで、ヤマハファン的にはYZR250の名前が無くなったのはさみしい限りです。

しかしこの’90 YZR250はやっぱりかっこいい!
二軸クランクでエンジンが大きいからか、車体の背も高い感じで、それでいて2気筒だからものすごくスリムでかっこいい。

そしてコシンスキーのあのひらひらと切り返すライディングフォームもめっちゃかっこよかった。

今回の特集ではYZRだけではなく、ヤマハ250レーサーのTZ250の歴史も解って良いですね。

そうそう僕はヤマハのバイクばかり乗ってきたので、TZR250は3車種に乗り継いだんですよ。
後方排気の3MA~初期型の1KTに行って最後は’91TZR250の3XVに乗りました。
それぞれ特徴のあるバイクでしたが3MAがやっぱり一番乗りやすかったな。

そして90年当時に活躍した日本人ライダーの本間選手のインタビューもいいですね。
本間選手が富士の雨のレースで無名のプライベーターで優勝して、そのままヤマハワークス入りしたのはまさにシンデレラボーイとして衝撃的な話でした。本間選手は早かったのに転倒の後遺症でまともに走れなくなったのは本当に残念でした。
当時はバブルでスポンサーもドリンクメーカーやバイクと関係ない業態のところが参入しててマシンもカラフルでよかったですね。

今回の特集もYAMAHAファンには必読の書となっております。

2015年3月 7日 (土)

アクトオンTV YZR‐R25

いや~びっくりしました、阪神間に住んでるんで、テレビで自分が知ってる景色が出てくることはあまりないんですが、今回見たアクトオンTVのYZR‐R25の紹介番組はなんと芦屋から六甲で収録してるじゃないですか!

オープニングの赤い大橋もなんか見た事ある感じだな~と思ってましたが、あれはポーアイに行く神戸大橋ですね。ポーアイに渡った側の公園ですね。
実は自分も昔友達とバイクで行ってあそこで写真を取ったことがあります。バイクはTZR250でした。

バイクのインプレッションは丸山さんですね。
そして走行シーンが始まった時に橋を渡ったんですが、甲子園浜か芦屋浜に似てるなと思ったら、次の場面で芦屋川沿いを走ってるじゃないですか!
テレビでよく知ってるところが写るとテンションあがりますね。
もうバイクより周りの景色の方が気になる。

高速道路は阪高の湾岸線かな。街中は山幹ですかね、それと建石筋から大師道を行ったのかな。そしてクローズドの走行シーン。ここはゴルフ場の敷地っぽかったけど、ゴルフはしないのでどこか判らなかった。しかしクローズドとはいえゴルフ場のエントランスまでの道?で結構攻めてましたね~

それからワインディングへ。当然六甲山に行くわけですが、いきなり宝殿!!!船坂と別れたすぐ上の辺から始まりました。かつて自分が走りまくってた道で撮影してる!
そしてお約束の芦有道路へ。ここはクレジット出てましたね。

丸山氏の解説も解りやすいし変にほめすぎない感じでよかった。

2015年3月 1日 (日)

【宝塚】たからづかの道標その壱

たからづかの道標:宝塚市教育委員会 昭和61年3月

宝塚市文化財資料6

この冊子は宝塚教育委員会が歴史資料としての道標と街道を整理したものであります。

この冊子のはじめに、道標に関して5本の論文があります。

1.古代から中世にかけての道筋
2.近世の街道の成立
3.道標
4.一里塚
5.宝塚市の道路元標

そこで書かれてることをちょっとだけ触れておきましょうか。

宝塚には4世紀~7世紀にかけて長尾山あたりと武庫川の西麓に古墳がたくさん築かれる。はじめはそれらを結ぶけもの道のようなものができて、それが道になったり、またすたれてなくなったりしてるだろうと思われる。
その後有馬に行くための道や、京都から西国に向かう道が通っといたのではないか。
また中山寺、清荒神、満願寺などの巡礼の道もできる。
そして三田や丹波に抜ける道もできていく。
宝塚でまず中心地となったのは今の小浜なんでしょうね。現在も小浜宿は一部保存されています。

宝塚を通る古い街道筋

[南部地域]
有馬街道:  大阪ー伊丹ー小浜ー生瀬ー有馬・三田
京伏見街道:小浜ー口谷ー加茂ー瀬川―半町ー京・伏見
西宮街道:  小浜―伊孑志ー西宮
巡礼街道:  箕面(勝尾寺)ー池田ー平井ー(中山寺)-米谷ー社町(清水寺)
丹波街道:  伊丹ー口谷ー平井ー丹波

[北部地域]
         木津ー三本峠ー上佐曽利ー木器
         池田ー多田ー広根ー銀山ー長谷ー大原野
         波豆ー山田ー三田
         広根ー猪淵ー切畑ー武田尾

道標は現在でいう道路標識なので、設置場所は
街道の曲がり角、街道と街道の交差点、街道と間道の交差点、間道と間道の交差点、社寺の入り口や参道になります。

道標の形式は、形では自然石型、切石型などがあり、道標に刻まれる方向では、社寺と集落に分かれる。

道標にはそれを建てた建立者の名前が彫ってあることが多く、個人名や団体名などが記される。

江戸時代に設置された一里塚は、宝塚では小浜と丹波街道の口谷あたりに設置されていたようだがいまは無いようです。

宝塚市内の道路元標は、大正時代に旧4ヶ村、武庫郡良元村・川辺郡小浜村・長尾村・西谷村に建てられた物がすべて残っている。

直宮先生を訪ねた時にいただいたもので、宝塚歴史ガイドマップとだぶるところもありますが、道標だけを集めた資料として現在の姿を調べつつ紹介していけたらと思います。

この61年に先だって50年に「たからづかの道標」を出して、市民に好評だったということで整理しなおしたものだそうです。
しかしそこから既にもう28年も経っています。
ガイドマップで廻ってるだけでも既に数本の道標が無くなってるようなので、すべてを確認するのは難しいでしょうね。
ガイドマップを周る時に撮った画像もあるので、調査は2013年からということです。更新は随時なんであしからず。
道標の説明はこの冊子を基にしますが、現在地や住所等は今の地点住所で書いていきます。

グーグルマップ にポイント落としましたので参考にどうぞ。
マップの街道筋は、今も道路が残ってるところもありますが、道筋が変っていたり道が無い部分等は想像で線をひいてる部分もありますので、参考までにしていただければと思います。

ぼちぼち廻っていきましょうか。

道標1
所在地:安倉南4丁目9(民家の角になります)
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正: 右 中山くァんおん道
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右:   願主大阪住人
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左: 左 小者まさん多
     阿り満たしま

背:   享保廿一丙辰年三月 日

解説:有馬街道
伊丹方面から宝塚市域に入った所、天王寺川沿いの中山寺近道が分岐するところにある。
左の字「小者まさん多」は「小浜・三田」「阿り満たしま」
は「有馬・但馬」の意。

解説では第一無線のフェンスの中とあるが、今そこは住宅地になっていて、道標は道路に立っている。これを読んで、そういえば昔第一無線ってあったな~なんて思いました。

道標2
所在地:安倉南4丁目13
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右: 右ハあまかさきみち

正: 寛文八年      千日かくや
   南無阿弥陀仏   道心西念
   申二月吉日

左: 左ハいたミノみち

説:有馬街道・宝塚指定文化財
    (寛文八年=1668年)
昭和57年8月、若林泰氏と古川久雄氏によって発見され、現在兵庫県下で最も古い道標のひとつであることが確認された。
「千日かくや」とは千日祈願の満願成就を祈り「かぐや」という屋号で出家した西念という人が立てたものか、隔夜信仰のことかどちらかであろう。
このほか、伊丹市、川西市、池田市等に寛文年間に立てられた道標が7基確認されており、北摂地域に江戸時代初期のものが多いのは興味深いことである。

昔はすぐそばの説明板の横に立っていたけど、現在は祠に入ってるので文字は読みにくいです。
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現在の様子、右の祠の中に有るのが道標。

道標3
所在地:安倉中2丁目10(住吉神社境内)
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正: 右 尼ヶ崎

解説:小浜方面から西野(伊丹市)を経て尼崎に至る道の分岐点に立っていたものと考えられる。現在住吉神社の境内の中に置かれている。
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神社の鳥居をくぐってすぐ左手に置いてありました。
元位置は住吉神社のすぐ北側の分岐ではないでしょうか。道標4と二つ立っていたのかな。

道標4
所在地:安倉中2丁目2
元位置:現況の南側の三叉路か

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正: 右 中山十八丁
   左 小濱有馬三田

解説:上部に仏像を彫り、よく整った美しいものである。
西野方面から来る旅人に中山寺方向と小浜方向を指示している。
もとは少し南の三叉路に南面していたものと考えられる。

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道路沿いにちょこんと立っている。住吉神社を出て左に行って三叉路を斜め左に行ったすぐです。

道標5
所在地:安倉北2丁目16(安倉第一会館西側)

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正: 右 大坂ミち
   左 京ミち

解説:有馬街道
小浜東口から来る人に方向を指示している。これも原位置からい移動している。

ポストの横にある。元の場所はどこか。

道標6
所在地:小浜5丁目8(交番の向かい側)
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解説:有馬街道
    嘉永五年=1852年
もとは小浜の派出所と道を隔てた東側の民家前に立っていたが、現在は民家庭内にて保存されている。
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正: 右 中山道
      大坂
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左: 左 三田有馬
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左: 嘉永五年正月建
     施主玉屋仁兵衛

この調査の後また移動したようで、現在は民家前にあり見ることができる。交番の向かい側。

道標7
所在地:小浜5丁目4(皇太神社前)
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正: 子丑寅卯辰巳
   右きよ水 午の女
          巳女男
   午未申酉戌亥

解説:有馬街道
小浜を経て西国25番札所清水寺(社町)へ参詣する人の為に立てられたものであろう。かなり風化している。両側に十二支を分けて書いてあるのは珍しいものである。
施主と思われる午歳の女・巳歳の女、男というのも数少ない表現である。

道標8
所在地:米谷1丁目18(国府橋の北の辻)

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右: 施主
     樽屋市兵衛

正: 右 大坂
   左 の道

解説:有馬街道
国府橋は明治以降に架けられたものであり、それ以前は橋の南たもとの急な坂道を下って大堀川を渡り街道に出ていた。
「左の道」は左の方は「野道」という意味である。

国府橋を渡り清荒神方面に道なりに曲がる交差点の南東角にあります。

道標9
所在地:米谷1丁目8 旧和田邸内
元位置:小浜4丁目8小浜宿東口か

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正: 右 西の宮 道
      兵庫
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左: 弘化三丙午年五月建之
   為釈保淳菩提

解説:有馬街道
    (弘化三年=1846年)
もと小浜の東口にあったものである。米谷庄、和田源右ヱ門光信がその兄喜三郎の菩提を弔うために造立したものである。

旧和田邸は公開されていますが、道標は裏庭にあるので、先生に案内してもらうといいでしょう。いろいろお話も聞けるので、ぜひ立ち寄ってみてください。
元位置は小浜宿東口だと思われるということなので、現在の中国縦貫道の西側にある小浜宿東口のところ辺りでしょう。

道標10
所在地:宝塚市米谷1丁目4(旧和田邸から西に行ったところ)

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正: 延喜
    式内  売布神社

10img_0922
右: 従是北八丁

解説:有馬街道
付近の街道沿いは小浜と同じく古い町並みをよくとどめている。
米谷の中心部から売布神社参道へ向かう近道の分岐点に立つ。
大変大きく玉垣をもった立派な石標である。

小浜宿の集落から清荒神へ行く途中にあります。大きいのですぐわかります。

なんと!今日平成28年3月1日、前を通ったら更地になってた!
もちろんこの大きな道標もなくなってた!個人宅の土地が売りに出されてる、道標はどこに行ったのか?大きい道標なので通りがかった時にあれ!?と思って引き返し、家に帰ってグーグルマップで確認したらやっぱりここだった・・・
こういうのはもう行方不明のままになるのかな。歴史あるものがあっさり失われるのはちょっと理解できないですね。
市の指定になっていないと「無主物」となるのでどうしようもないということのようです。

道標11
所在地:清荒神3丁目4

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正: 中山道

解説:有馬街道から巡礼街道への分岐点にあるが、現在民家の石垣の中に取り込まれており、見えにくい。

これは現状は民家の壁際の道路上にあるので見えやすくなっています。有馬街道の阪急踏切を渡り清荒神参道へ向かう途中、中山寺からの巡礼街道との辻にあります。

道標12
所在地:清荒神3丁目4

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正: 日本
    第一 清荒神霊社  従是八丁

解説:有馬街道と清荒神参道の分岐点の東に立つ。
「日本第一清荒神」と称されるように昔から厚い信仰を受けている。
今でも「かまどの神様・清荒神さん」として広く一般に信仰され、いつも参詣する人が後をたたない。

清荒神駅から商店街を抜けて有馬街道に出たところです。清荒神参道入り口。

道標13
所在地:清荒神3丁目2
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正: 日本
   第一  清三寶荒神王(道)

13img_0722

左: 赤尾保

解説:清荒神参道
参道入口の鳥居西の上垣の中に東面して立つ。
かつてこの付近は「六軒茶屋」と呼ばれていた。清荒神の中にあった茶屋のうち六軒が街道沿いに移転した為にこう呼ばれるようになった、と伝えられている。

道標12のすぐ西側。大きいのですぐ目につきます。

道標14
所在地:清荒神5丁目16

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正: 清四丁
14img_0720
左:   西成玉出町
           魚富

解説:清荒神参道
鳥居付近を起点とする丁石である。四丁の丁石の「魚富」と五丁の丁石にある「西尾冨蔵」なる人物は、丁石の形態が同一であることから、おそらく同一人物であろう。
14img_0708_2

正: 清五丁

右:   西尾冨蔵

小柄な低い道標なので、注意して見ていかないと見落としそうですが、参道をゆっくり注意しながら歩いていけば気づきます。中国道の下あたりだったかな。道標13から参道を登り始めてすぐに「清一丁」の道標もあるけど、これは解説にない。比較的新しいのかな。

道標15
所在地:小浜5丁目1

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正:貞享四 丁卯 暦 右ハ西宮(道)
  南無阿弥陀仏   左ハの(道)
  九月吉日

左:            五郎
              長次
              四良

解説:西宮街道
「南無阿弥陀仏」の下に蓮華文が彫られている。
小浜南口から、伊孑志の渡しを経て西宮へ向かう道筋を示している。
貞享四年(1687)という年は、小浜と生瀬との間で西宮への荷継ぎ権を正式に獲得するべく宿場町の存続をかけた争論が頂点に達した時期にあたる。

場所は、小浜小学校の西側の道を下った一つ目の角。首地蔵の方へ曲がるところです。電柱で見えにくい。下が結構埋まってましたね。

道標16
所在地:小浜宿内
元位置:小林3丁目

16img_0344
正:  元禄十五年
   南無阿弥陀仏 左西宮道
     四月十二日

16img_0346
左:  右 小濱道
     左 有馬道

解説: 西宮街道
もとは東面して小浜から西宮方面へ向かう方向を示していた。現在は宝塚市文化財収蔵庫で保管している。
元禄十五年(1702)は、上述した小浜、生瀬間での論争がやや小浜にとって有利に展開してきた時期にあたり、No15の道標と同じく小浜から西宮へ向かう道筋を正式に認められることを期待して建立されたものであろう。

16img_0958
元位置は小林のこの交差点かな?
小浜宿資料館の中庭にあるので、まじかで見たい時は資料館の先生にカギを開けてもらいましょう。

道標17
所在地:小浜宿
元位置:小林三丁目1

17img_0352
正: 右 中山道
17img_1024
右: 左 西宮道

解説: 西宮街道
現在の場所では左右が反対になっている。おそらく元は道路の反対側にあったものであろう。

元位置は道標16の元位置のところかな?

道標18
所在地:小林1丁目7

18img_1995
正: 武庫山平林寺聖徳太子開基
       本堂釋迦尊薬師佛 富国第二 観音堂

18img_2168
右: 是より一丁余西山道
       但し西宮ぬけ道阿里

背: 十方一切法界塔 宿坊宝珠院則籠代

左: 寛保二 壬戌年十月 日
          大阪講中世話人

解説: 西宮街道
     (寛保二年=1742年)
No16,17の道標より南進して行き平林寺参道との分岐点に立つ。
正面上部に仏像を浮彫りし、他の三面上部には月輪に梵字を彫っている。

逆瀬川から西宮街道を小林方面に進んで行くとすぐに見つかる。

道標19
所在地:小林1丁目3(平林寺参道)

19img_0953
正: 三寶大荒神  平林寺
          すぐ寶樹院

右: 本宮代  願主
           講中

解説: 平林寺参道
形のよい自然石に雄渾な筆蹟で刻まれている。
「荒神」とは竈の神様であり、清荒神清澄寺が有名であるが、ここに記される「三寶大荒神」とは平林寺境内に祀られている荒神さんのことである。
19img_0951

資料の写真ではガードレールの右、駐車場内になっているが、現在は参道側にあるので、ちょっとだけ移動してるようです。

道標20
所在地:小浜宿内
元位置:小林の街道筋のどこか

20img_0349
正: 右 ありま道

解説:もとは小林の街道筋にあったようである。おそらく小林駅東方の街道と山道の分岐点にあったものと推定される。
20img_0348
小浜宿資料館の中庭には合計で四本の道標が移設してあります。
元の場所はどこか。

道標21
所在地:仁川宮西町1(仁川小学校西南角)

21img_0966
正: ☜法華閣

解説:花崗岩の荒削りの面に☜を陽刻市法華閣への道筋を示す。
同種のものが北側にもう一基ある。

21img_0967
北側のもう一本。上の道標は運動場のフェンスと雑草でちょっと見えにくい。北側のは歩道に立っている。
「法華閣」とは、日蓮宗のお寺がこの先にあったのでそこへの道標ということのようです。現在はなくなっていて、おそらくゴルフ場の辺りになると思います。

道標22
所在地:野上1丁目2

22img_1004
正:  右 寶梅園

背:    八馬建之

解説:県道生瀬~西宮線から西へ入り阪急線ガードをくぐったところの石垣の上に東面して立つ。
宝梅園付近が開発され住宅化が進んだ昭和初頭頃に立てられたものであろう。

コープの北側の道を西へ、線路の方へ行き、ガードをくぐった先にありますが、生垣に覆われていて一回目は見つけれなかった。

宝梅園という果樹園がかつてあったのですね。「八馬」とは西宮で馬がつく名前の名家の一つ八馬家のことですね。

道標23
所在地:中洲1丁目3

23img_0946
正: 塩尾寺観世音
23img_0947
右: 是より
      十八丁

23img_0945
左: 摂(州)尼崎講元
     願主 難屋利兵(衛)
         大江巳之

解説:塩尾寺参道
県道と参道との分岐点に南面して立つ。塩尾の名の由来は尾根から塩水が湧水したとの言い伝えによる。塩尾寺は十一面観世音菩薩を本尊とする。
「摂しゅう」は「摂州」の意である。(しゅうは刀を三つで書く?)

逆瀬川から南口に向かい塩尾寺参道との分かれ道にある。この分岐点から左道が塩尾寺道ですね。川を渡ったところが道標24の元あった場所。

道標24
所在地:塩尾寺展望台公園
元位置:南口2丁目1

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正: 観世音常夜燈
           塩尾寺
           願主
           大坂
           高砂屋

24img_0220
背: 天保十五甲辰
         十一月

解説:塩尾寺参道
     (天保十五年=1844年)
支多々川を渡った左岸に一対ある燈籠のうち左側のものに記されている。

24img_0944
ここが南口2丁目1の元の場所です。現在マンションですが一角に燈籠があったような感じの場所がありました。
はじめは一本だけが塩尾寺手前に移設されたようですが、残りの一本も近くに移設されたようです。

現在の灯籠の場所は、塩尾寺に登っていく途中にちょっとした広場のような休憩所があり、そこの入り口に立っている。
ここの広場も初めてきましたが、視界が広がっていて景色がいいです。夜景も良さそうですね。

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