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2014年8月17日 (日)

【宝塚】たからづかの道標その四

たからづかの道標その四です。

その壱

その弐

その参 

グーグルマップにポイントを落としてます。

道標67
所在地:売布3丁目15

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正: みぎきよしこうじんみち
   右 清荒神道
            すく

解説:道標55、道標56を右に折れて、売布神社へ向かう道筋の左側に、民家の石垣によりかかるように立っている。
上部に「阿閦如来」の梵字が彫られており、また、読み仮名を一緒に記しているのは珍しい。

道標55、56のところから坂道を登っていくとすぐにあります。民家の塀に隠れるようになっていますがすぐ見つかります。

道標68
所在地:売布小学校内

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正: 左 中山道 
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背: 右 きよ水ありま
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右:  惣作
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解説:もと売布から清荒神近道と売布神社参道との交叉点、上の池の畔にあったものである。
左右側面の剥離面を未調整のまま残す。真中あたりで折れているのは惜しまれる。

売布小学校内の校舎にかこまれた中庭の中に69の道標と並んで奇麗に立っていました。
小学校内ということで勝手に侵入すると事案が発生してしまうので電話で訪問の意図を告げて許可をもらいました。案内は教頭先生が丁寧にしてただきました。

道標69
所在地:売布小学校内
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背: すく中山道
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正: すく荒神道
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右: なだ
     若林嘉兵衛

解説:売布~清荒神近道
池の堤にあったものを開校当時、売布小学校に移したものである。
道標本来の役目を終え、今は小学生の歓声の聞こえる中庭で、道標68とともに教材として利用されている。

若干下が埋もれて字が見えなくなっています。
道標68と並んで立っています。

道標70
所在地:売布ヶ丘2

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背: すく中山道
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右: なだ
    若林嘉兵衛

70img_0911
正: 左 荒神道

解説:売布~清荒神近道
中国縦貫自動車道の建設によって周辺の状況が変っており、本道標も場所が移動したものである。

道標57の道を山の方へ登っていったところです。資料作成後にここの土地の建物を建て替えたのか、当時と道標の向きが変ってます。

道標71
所在地:売布ヶ丘2
71img_0915
正: 右中山へ
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解説: 売布~清荒神近道
比較的最近のもので、文字の彫りも明確端麗である。

資料の解説では70の道標と並んで立っていましたが、同じ区画の西南角に移設されたようです。

道標72
所在地:清荒神3丁目(長池の西端)

右: 左 中山寺

正: 右 清荒神

背: なだ
     若林嘉兵衛

解説:売布~清荒神近道
道標70から西進した分岐点に東面して立つ。
今でもこの道標を利用する人が少なくない。
若林嘉兵衛の手になる道標の中で最も西に位置する。

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長池の西端となってるが、現況は画像の自治会館になていて見てけることができなかった。
先生に確認しましたが、以前はあったということのようです。最近また行ってみましたがやはり不明。

道標73
所在地:切畑字長尾山
Img_1956

正: 右かう志ん

解説: 中山寺奥の院から尾根筋の道を南下し、清荒神への分岐点に立つ。
全体にこけが付着して古びた感じのする自然石の道標である。
自然石表面を角柱型に浅く彫り下げ、そこに文字が刻まれている。
下部が地面に埋まっているため、他に文字が刻まれているかどうかは不明である。

Img_1961
中山寺奥の院への道の途中にある”夫婦岩”の南側に売布神社駅への分かれ道があります。ここには看板も立ってるのでこれを目印にすればいけます。
夫婦岩から売布神社に向かって進んで行くとこのようにフェンスの際に道標が見えてきます。

解説にはここが清荒神への分岐点となっていますが、今は清荒神への道は使われていない様子でした。
Img_1955
ここが売布側からの奥の院への入り口。
この道標は中山寺から奥の院への道沿いにあるんだと思い込んで探してみつからなかった。
もう一度資料と付属地図を見直したら、どうも中山寺の奥の院への道からずれてる。
ということで売布側から入ってみると見つかりました。
資料の地図の位置はかなり正確なところにポイントが置いてあると判りました。

道標74
所在地:栄町2丁目

右: はんきゅう

左: こくてつ

解説:表面を粗い加工のままにして、温泉街から国鉄及び阪急宝塚駅方向を指示している。近年立てられたものである。

宝塚駅周辺の再開発区域ですね、見つけることが出来なかった。再開発で無くなった模様。

道標75
所在地:切畑字南カイチ2

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左: ←いぶち銀山ひろね
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正: →たけだを四十丁
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右: 広芝

解説: 広根(猪名川町)~武田尾と鳥脇~玉瀬との交差点に立つ。
道標78と同じく矢印で指示標示をする珍しいものであり、「広芝」と、道標78の「廣芝茂兵衛」は同一人物か、あるいは何らかの関係のあるものと考えられる。
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ここの交差点は新名神の周辺工事で道路が広くなってます。
この工事に伴って歩道に無事再設置されました。

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少し前まで工事中はこういう風に放置されてた。
この状態で僕が発見して直宮先生にお知らせして現在の再設置になったのかな?ちょっと貢献できたかな。
宝塚市街地から西谷へ向かっていく道沿い。
武田尾に曲がる交差点です。

道標76
所在地:切畑字宮ノ後

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正:   右池田いたみ
    南無阿彌佛
     左いぶち多田院

右:  元禄十五年午九月

左:  施主 北切畑大工
            権右□□

解説: 切畑~玉瀬の旧道にある。(元禄十五年=1702年)
「南無阿彌佛」と記し、供養塔の色彩の濃いものであり、旅人もまたこの道標に手を合わせ、旅の安全を祈ったことであろう。

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解説にある通り旧道に行けばすぐわかります。
道標75の交差点を北にちょっといったところで左にそれる道があります、そちらが旧道なのでその旧道を入ってしばらく行った右手にある。お地蔵さんは祠に入ってるけど道標はその横でむき出しです。
資料作成時とは現況が変わってるようです。祠があるので横は読めない。

道標77
所在地:玉瀬字前田 満福寺境内

右: 玉瀬村
     同行十一人

正: 右 高平たんは道 安□(等)カ
   奉供養西国三十三所ニセ為
   左 ざい所ミち

左: 安永七年
     戌三月吉日

解説: (安永七年=1778年)
玉瀬村の住民11名が西国観音霊場三十三カ所巡礼を無事終えたことを感謝して立てたものである。
上部平端面に径3.5cm、深さ3cmの枘穴があけられており、地蔵台石を兼ねていたものであろう。

満福寺境内を歩いてみたけど見つけることが出来なかった。再度行ってみたが解らなかった・・・
先生によるとお墓側ということなので僕が探してないところにあるようです。

道標78
所在地:芝辻新田ナキ谷 長坂峠登り口

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右: →右銀山。広根。妙見道
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正: ←左 へうたん鉱山
78img_1087
左:   廣芝茂兵衛

解説: 銀山~大原野道
長坂峠の登り口、「へうたん鉱山」は、猪名川町銀山を中心とする鉱山で、豊臣秀吉が賞として馬印の千成瓢箪を与えたことにより呼ばれるようになったものであり、明暦~寛文年間(1655~72)に最盛期を迎えた。

この場所は普通は通らないところですね、ディープ西谷です。
目印としては太平洋クラブ宝塚コースの入り口のすぐそばです。
資料の写真だとカーブの内側にあるけど、現状は山側で、道路向かいに移設されたということです。草に覆われそうで見えにくいです。

道標79
所在地:長谷字小畑 長谷大池東

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正:  右ながたにさそ利
           出雲州大原郡
    南無阿弥陀佛 西日□村
           行者嘉右ヱ門
                世話人
    左たかひら三田
                同村中

解説:銀山~大原野道
文政二年(1819)の大乗妙典遍国供養の人並んで立っている。
諸国を遍歴する出雲州大原郷出身の行者、嘉右ヱ門を世話した長谷の村民が立てたものであろう。

79img_1082
道標78に行く手前の池の端にある。これは道の分岐点にあってわかりやすい。

道標80
所在地:大原野字茶谷

正:  右 高平さそり
    高眼阿闍梨
     左 三田ありま

解説: 銀山~大原野道
道標81の東側の三差路角にあったものを移したものである。
阿闍梨は師範たるべき高僧の称号である。 

周辺を探してみたけど見つけることが出来なかった。
ここも新しい道ができていて資料作成時から現況が変わってる。

道標81
所在地:大原野字茶谷

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正: 右ぎんざんいけた  みち
       能せあたこ

81img_1089
解説: 銀山~大原野
民家の石垣に取り込まれており、注意して見ないと見おとすものである。

これは意外と見つけにくかった。この辺りを何度も行き来して、資料をもう一度読んで、「民家の生垣になってる」というのを見てやっと見つけることができた。

道標82
所在地:大原野字岡田

正: 右 さそりむつのせ
    西国三拾三所供養
   左 はず川

右: 寛政四壬子年

解説: 木器道
(寛政四年=1792年)
道標77と同様に西国観音霊場三十三カ所巡礼を無事終えたことに対して立てられたものである。
正面左下の表面が剥離している。

すでに不明か。これは散歩ガイドの方でも紹介されてる道標で、見当たらないようなので先生に聞いたら、やはり工事でどこかに行ってるようだ、という話でした。

道標83
所在地:大原野字紙屋

83img_2083
正: 右池田伊丹
   左多田院妙見

83img_2086
右: 南無阿弥陀佛

左: 文化十癸酉天九月日

背: 俗名常盤山吉右衛門(カ)
   太機活用禅定門

解説: 波豆~大原野~銀山への街道、大原野の分岐点にある。
(文化十年=1813年)
「常盤山」は関取の四股名で、彼の供養のために造立したものである。
「天」は「年」の意である。

西谷小学校の南の道を西に行った突きあたり手前。西谷農協前から千刈水源地への抜け道途中の交差点にある。道路元標と並んでるのですぐにわかる。

道標84
所在地:波豆大畑 ドライブイン千刈

正: 右清水 道
   左三田

右: すく妙見 石田
          元右衛門

左: 文久三亥年
     右妙見道

背: 左三田道

解説: (文久三年=1863年)
さびた姿の自然石に流麗な文字が刻まれている。自然石で背面等四面に刻んである珍しいものである。

まだドライブインに行けてない。

道標85
所在地:波豆字向井山 岩ヶ鼻の手前
Img_1841
正: 延享二乙丑年八月
           施主
            麹屋
   奉大峯山三十三度供養
            庄右エ門
    左 京あたご

解説: 旧三田街道
(延享二年=1745年)
大原野から現在千刈水源地に沈んでいる波豆村を通り山を越えて三田に向かう街道に立つ。
上部に「不動明王」を示す梵字を刻む。
大峯山での修行満願を報恩して立てたものであろうか。

Img_1844
千刈水源地を普明寺の方へ渡り、普明寺の入り口を過ぎて民家の間の農道を抜けていくと画像の場所に出ます。先に見えてる森の中に入った左側に道標が立っている。大きい道標なのでわかると思います。

道標86
所在地:波豆字向井山
Img_1836

正: 地蔵 右 三田村
        左 在所也

解説: 旧三田街道
道標85のすぐ西にひっそりと立っている。
「地蔵」と文字表現している点が珍しい。下部は埋もれている。

道標85を正面に見て右へ向いたところにある。木に挟まれて埋もれてるのでわかりにくいです。資料の画像では”右三田”まで見えてますが、現在は”地蔵”の下は埋もれていました。

道標87
所在地:大原野字松尾

正: 右 いけだ
      いたみ

右: 左 ぎんざん
      た々能ゐん

左: 施主 石や
        作兵衛(カ)

解説: 大原野~木器の間道
「右」の字上部に「地蔵」を示す梵字が刻まれている。台石の上に立っていたが下部が欠損している。
少年自然の家の北方、木器より山越えで西谷へ入った分岐点にあった。
現存しない。

道標88
所在地:下佐曽利字西川

正: 花屋妙香信女

右: 右 三田有馬 道
   左 中山伊丹

左: 施主松田宇平
   娘俗名せう

解説: 「松田宇平」が娘「せう」の供養の為に建立したものである。
現在の位置は、原位置から移動している。

88img_1097
資料の地図位置ではこのような祠とお墓があるんだけど、お地蔵さんと台座の道標はない。
こことは違うのかな。

88img_1098
先生にこの画像を見ていただきましたが、これで間違いないようです。
土台だけが残っていて道標とお地蔵さんは行方不明!


88img_1103
少し南にこれがあるけど、これも道標とは違う様子。
どこにあるのかな?
これは違うようです。

88img_1105
資料の道標と似てるが書かれてる文字が違う。

道路元標[A]
所在地:小林1丁目4

Aimg_0954
正: 良元村道路元標

解説: 旧武庫郡良元村
道路元標は大正八年の道路法施行令によって「各市町村ニ一箇ヲ置ク」と定められ、翌九年には兵庫県告示第229令で県下425基の設置場所が決められた。
設置場所は市町村の主要道路との交差点か三叉路のあたるが、市内に現存するものはいずれもその位置が若干移動しているものと思われる。

小林会館の入り口にあります。

道路元標[B]
所在地:泉町1丁目

Bimg_1903
正: 小濱村道路元標

解説: 旧川辺郡小浜村
道路元標の様式は大正十一年の内務省令第20号により幅25cm四方、高さ60cm、形態は頭部がアーチ型と定められた。
旧武庫郡の道路元標は省令通りの形態であるが、旧川辺郡のものは頭部が三角形に尖っている。


中国道宝塚インターの北側の道、小浜と米谷への分岐点。

道路元標[C]
所在地:中山寺2丁目

Cimg_1747c
正: 長尾村道(路元標)

解説:旧川辺郡長尾村
旧川辺郡内の他村の道路元標を調べてみると川西村(現、川西市)、中谷村(現、猪名川町)のものは宝塚市域の3本と同形態である。なぜ旧川辺郡の形態が内務省令の規定と異なるのかは明らかでない。

Cimg_1748c
中山寺の山門を西へ行ったすぐ、トイレの前です。

道路元標[D]
所在地:大野原字紙屋

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正: 西谷村道路元標

解説: 旧川辺郡西谷村
阪神間において旧村全部の道路元標が遺存しているのは宝塚市のみである。近世の交通資料である道標とともに近代以降における交通を知る手がかりとして貴重なものである。

Dimg_2082
道標83と並んで立っている。

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コメント

こんばんは

道標だったのか大きな自然石のが 武庫川大橋の西側の中洲へ向かう道の角に有った饅頭屋の所に有ったのを記憶していますが 道標なのか記憶が…

彦左衛門さま
饅頭屋さんですか、宝塚は炭酸せんべいくらいしか思いつかないのが残念です・・・
自然石っぽい道標もありますが、”道標”は右○○とかなにか書いてありますね。
しかし現在は気に留める人もほとんどいないようでさみしいです。

生まれて丸々 三十年宝塚に居りました。
子供の頃に宝塚の土地が どんなのかも今の人々よりは詳しいですよ。(^O^)
宝梅中学校の下側に宝梅牛乳の工場が有ったのを記憶しています。
宝梅中学校の近くには養豚場も幼稚園の時に見学に行きました。(^O^)
宝梅中学校の前の道が舗装された昭和四十三年頃に雉が まだ居てました。(^-^)
中洲二丁目から伊和志神社に行く時に逆瀬川を渡ると大きな屋敷の側溝に湧水が流れ沢蟹に居り よく採った記憶が…(^-^)
伊和志神社の前は田んぼが一面に広がっていました。
私は伊和志神社と呼ばず伊そ志神社と呼んでいました。(^-^)
このブログに出会い古き良き宝塚の思い出を甦らして頂き ありがとうございます。

連投ですいません。
追記
宝塚第一小学校の何年生だったか忘れましたが NHKの黒柳徹子の魔法のじゅうたん の番組の取材で第一第二第三の運動場に人文字をヤらされヘリコプターが飛んで来ましたね。
魔法のじゅうたんが実はヘリコプターでした。(笑)

この話をするとだいたい年齢が…(笑)

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