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2014年8月16日 (土)

【宝塚】たからづかの道標その参

たからづかの道標 その参です。

本文の解説を青文字、僕の説明は黒文字で表示します。

以前の記事は下のリンクからどうぞ。

たからづかの道標その壱 

たからづかの道標その弐

たからづかの道標その四

グーグルマップも参考にどうぞ。

道標37
所在地:平井2丁目3

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正:大阪  御瀧講  世話人
37img_0808
右:最明寺     同松田
   是ヨリ八丁  中
            同魚岩

37img_0809
左: 京町堀   梶戸金
     同    八百福
     同    大 徳

解説:巡礼街道から丹波街道の分岐点、最明寺滝への入り口にある。
鎌倉幕府5代執権北条時頼は出家し鎌倉山内の別邸最明寺に退いた。彼が諸国を遍歴した折に宝塚の当地も訪れたことから、この地は時頼の別名「最明寺入道」にちなんで「最明寺」と名づけられた。

この道標も探すのに苦労した。巡礼街道と丹波街道の分岐点が分りにくかった。
丹波街道はこのすごく細い道です。しかも現場は民家の敷地内に見える。
阪急山本駅北側の道を東へ、一方通行の道から踏切に出る手前。

道標38
所在地:平井2丁目3

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正: □□享三丙年
   中山寺道□也
         □八丁

解説:(貞享三年=1686年)
No.37の道標の東隣に横倒しとなっている。
昭和46年7月に確認された。
年号の上部に「地蔵」を表す梵字が彫られているようである。

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画像のように敷地の外溝に埋まってる。磨滅して字は見えない。

道標39
所在地:平井2丁目16 大宝寺門前

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解説:巡礼街道から満願寺方面へ分岐するところにあったものであろう。
左側面に戒名を刻み、供養塔の意味も兼ねている。
小祠の中に安置されている。

39img_0816
正:みき
    満願寺
   すく
    中山寺

左:  六親   妙体
     妙智  貞心
     妙三  栄□妙智
     六親  箕山□□
     箕山  貞心
     六親

39img_0818
道標38,39のところから丹波街道を行った先に大宝寺がある。祠の中なので横は見えない。

道標40
所在地:切畑字長尾山5 最明寺滝東

解説:丹波街道
平井山荘から満願寺へ向かう途中の山道東側にあり見つけ難い。
原位置は今より少し南の分岐点にあったと思われる。
深く彫られた梵字(阿弥陀如来)と共に優雅な筆跡の文字が美しい。
「満ん久アんじ」と漢字、平仮名、カタカナ混じりで表記している。

丹波道は歩いてみたけど探せなかった!
丹波街道は大宝寺から平井山荘の住宅街の東側を上がっていくと、民家の脇に山道に入っていくところがある。そこを抜けると道標41のところに出る。
探したところが間違ってたみたい。道標41の近くにあるのかな?

道標41
所在地:切畑字長尾山 不動橋北

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正: 右 満願寺多田
     左 たん者みち

41img_9790
左: 天保六年三月
     竹縁斎北社中建之

解説:丹波街道(天保六年=1835年)
昭和49年秋頃に谷に落ちていたのを、○○氏が発見し現地に引き上げたものである。
「竹縁斎北社中」とはどのような内容の団体であるかは明らかでない。
「たん者」は「丹波」の意味である。

最明寺滝の山道で満願寺に登っていくと、道が平坦になったところにある。

道標42
所在地:切畑字長尾山
42img_1309

正: 不動明王参道

解説:丹波街道から最明寺滝への分岐点より、満願寺参道前までに同一形態のものがこれの外にもあり、計7本、ほぼ同間隔で立っている。

この道標は道標41から満願寺寄りにちょっといったところのものです。7本あるということですが他のものはまだ確認してない。

道標43
所在地:山本東1丁目2 木接太夫碑前

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正: 右中山道

右:   施主池田売を徳

左:   釋尼妙真信女

解説: 巡礼街道
池田の「売を徳」なる人物が、娘か妻かわからないが供養の意味を兼ねて立てたものである。

山本駅の北側、巡礼街道を中山寺の方へ行ったすぐ。大きな木接太夫碑のところ。

道標44
所在地:山本東2丁目4 

解説:山本の集落内の里道分岐点にある。
表面を粗いままにして、重厚な文字が刻まれている。

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ここだと思うんだけど道標は見当たらない!?
場所はここであってる模様。

道標45
所在地:山本東1丁目3

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正: 右さい所?
    左み能お

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左:  施主大阪住吉

背: 左池田

解説:巡礼街道
場所を移動したものか、方向が一致していない。
下部が深く埋もれている。
「み能お」は「箕面」のことである。

山本から中山寺への巡礼街道途中にある。移動してる可能性とのことなので元位置はどこか。

道標46
所在地:山本東1丁目4

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正:  右
     中山
    右中山

解説:巡礼街道
地蔵を表す梵字が彫られている。
「右中山」と二行に並べて刻むが、左行の刻字が比較的はっきりしていることから後で新たに彫りなおしたものと考えられる。


道標45の西向かいにある。

道標47
所在地:山本東1丁目4

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正: 右 中山
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右:願主 池田槻木町丹波屋源七
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背:  右 満願寺柳谷観音
    六拾六部七百五十人報謝宿
    左 中山寺       供養塚

左: 安永七戊戌歳十二月

解説:巡礼街道(安永七年=1778年)
六拾六部とは諸国を遍歴する修行者の一種で、これらの人を無料で宿泊させて布施する宿があった。
これはその数が750名に達した記念に宿が立てたものである。
「歳」は「年」の意である。

道標46から巡礼街道を中山寺方面に。松尾神社参道の角。

道標48
所在地:山本台1丁目 正念寺東門前

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正: すぐ中山道
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右: みぎ常念佛道
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左: 施主池田之住坂上氏

背:   右ハ山本常念仏寺之道
    南無大慈観世音菩薩
      左ハ中山道是ヨリ一リ

解説:巡礼街道
明治初年、この地へ正念寺が移築され常念仏寺と合体し正念寺となっている。
元の道標は原位置より南にあったもので、この正念寺東門前に移され現在に到っている。

正念寺さんの入り口のところ。
山本園芸流通センターの西向かい、巡礼街道沿い。

道標49
所在地:山本台1丁目 正念寺内

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正: 延享四卯十二月
    如月志やふ信女
    左中山是よ里六丁 

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解説:巡礼街道(延享四年=1747年)
今は正念寺の墓地へ移されているが、元は、中山寺より六丁の地点すなわち天神川右岸の巡礼街道沿いに立っていたのであろう。
美しい石仏の台石を兼ねている。

正念寺さんの墓地内ということでお寺さんに声かけをして探しました。資料の画像では擁壁のところにあるので壁沿いを探したが発見できず、あきらめて帰ろうかと本堂前まで戻ってきて発見!墓地の入り口に移設されたようです。

道標50
所在地:中筋山手4丁目 しだれ桜横

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正:す久中山寺道
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左: 左ざい所道
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右:  宝暦三癸酉歳二月施主中□□
                    水□□

解説:巡礼街道(宝暦三年=1753年)
昭和59年1月、近くの妙玄寺、法界内の柱横にあったのを○○氏と○○氏が見つけたもので、下部を欠損している。
左の「ざい所道」は「村内の道」の事である。

資料制作時点では個人宅の庭に保存されていたようですが現在は中筋のしだれ桜の横に移設してあります。中山桜台へ登っていく道沿いです。元位置はどこか。
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道標51
所在地:中山寺山門前

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右:安政二年     花山院講元
  乙卯五月 大阪  大川屋由兵衛

正:  西国巡礼御ゑい可能元祖
     菩提寺
    右 花山院道 五里半
       清水に通りぬけちか道あり

左:   ありまふしもと能きりを
       海とみてなみかときけば
         小野乃まつかぜ

解説:巡礼街道(安政二年=1855年)
花山院(三田市)および清水寺(西国25番札所)への方向を示す。五里半は約22kmにあたる。
左側面に西国巡礼御詠歌を流麗な字体で刻んでいる。

中山寺の山門の南側にあります。

道標52
所在地:中山寺山門前

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正: 日本第一 清荒神王道十二丁

右:西宮清水小濱
  西宮大坂通ぬけ 江戸深川講中

背:天保十二年辛丑三月すぐ京池田
                   伊丹

解説:巡礼街道(天保十二年=1841年)
「日本第一清荒神」と広く一般に信仰されていたが、本道標に見られるように江戸深川と関東方面にまでその名が知られていたことがうかがえて興味深い。

道標53
所在地:中山寺2丁目4 山門西

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正:左り 寶塚  道
       清荒神

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左: 施主大阪港区南安治川二丁目
          中村重三郎

解説:巡礼街道
中山寺山門を過ぎて少し西へ行った分岐点にある。
古く見えるが、大阪港区とあらわしていることから、比較的新しいものである。

資料では「分岐点」となってるが、今は南側の駐車場の中にある。元は分岐点にあったが道路拡張でここへ移設したようです。

道標54
所在地:売布4丁目3 民家内

正: 右中山道

左: なだ
     若林嘉兵衛

背: 左荒神道

解説:巡礼街道沿いにあったものが移動したものと思われる。
「若林嘉兵衛」の手によって幕末の頃売布神社から清荒神の間の近道に10本の道標が建立された。
これはそのうち内の1本であり、現在この他に6本が確認されている。

ここは民家の中にあるようなので確認できてない。

道標55
所在地:売布3丁目15

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正: 日本第一 清荒神霊社
55img_0897
右: 施主 大坂住
          橘徳兵衛

55img_0895
左: これよ里にしへきよし
   くわう志ん道□けあり

背: 清澄寺政尊代

解説:巡礼街道
売布神社東方から清荒神への近道分岐点にある。
「きよしくわう志ん」とは「清荒神」のことであるが「志(に濁点)」という表記は珍しいもので、このほかに道標73にも使用されている。

阪急の売布神社の駅から上に上がり巡礼街道に出て左に曲がったところ。

道標56
所在地:売布3丁目15

56img_0898
正: すく清水
      寶塚

56img_0894
背: すく中山
56img_0893
左: 右 荒神道
56img_0899
右: なだ
     若林嘉兵衛

解説:巡礼街道
道標55の左隣に立っている。
これも「若林嘉兵衛」によって立てられたものの一つである。
風化がはげしい。「すく」は「まっすぐ」の意味である。

道標55のすぐ横。

道標57
所在地:清荒神2丁目16

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正: すく中山道

背: すくきよ水ありま

右:      於講

解説:巡礼街道
流麗な文字と共に、すらりとした感じを受ける道標であるが、下端40cm程で折れて補修が施されているのは惜しまれる。

売布小学校の下の巡礼街道を西に行き橋本関雪邸を過ぎた次の辻を右に曲がったところ。画像のように生垣に埋もれてるので正面以外は見えない。

道標58
所在地:清荒神2丁目18

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左: すく中山道
58img_0917
正:  願主
      若林嘉兵衛

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右: 右 荒神道

解説:巡礼街道
この道標に従い角を右へ進むと、同じく若林嘉兵衛の手になる道標72の辻に出る。

道標57から巡礼街道を西へ行きため池を過ぎた辻。

道標59
所在地:中山寺華蔵院庭内

59img_182808
正:      永正十四丁卯
    六丁山城国□□□□石大工 春政
         八月十八日

59img_185108
背: 右ハきよ水
    左ハひやうご 道

右: 建主椙本坊祐慶

左: 天和三年十一月十八日

解説:宝塚市指定文化財
永正十四年(1517年)の建立で中山寺参道に建てられた丁石であるが背面の追銘によって天和三年(1683)以降道標として再使用されたことがわかる。その後里道の橋に転用されていたのを現在位置に移し保存されている。
正面上部に阿弥陀如来、背面上部に地蔵を示す梵字がそれぞれ彫られている。

この道標はガイドマップの時に探すのを苦労した。中山寺の山門を入り参道の右側のお寺の華蔵院に入ったところにある。
2016年に見たら、市の説明板がきれいになってた。

道標60
所在地:中山寺梅林内

60img_1270
右: すく 伊丹池田 道
       箕面

60img_1271
背: なだ
     若林嘉兵衛

正: すく荒神花山院 道
     左 西宮中山

左: 観世音菩薩
60img_1269
解説:巡礼街道沿いにあったものを中山寺境内に移して保存していたが、梅林造園に際して現在地へ移された。
旧位置は全くわかっていない。

中山寺梅林の公園の中にありました。
いま画像で見て見たら、正面、右、左の説明がちょっと違う気がする。
現在は生垣に埋もれて全部見えないからちょっと確認しにくい。

道標61
所在地:中山寺信徒会館前庭

61img_0875
正: 常夜燈
61img_0876
左: 右大坂
   左中山寺  八丁

61img_0877
背: 安政四丁巳年六月建之

右: 南無阿弥陀佛

解説:安政四年=1857年
もと有馬街道小浜の東口、谷池の畔にあったものを現在地へ移したものである。
施主として、岡山、和泉、堺、大坂の有名人や地元小浜の有力者名が台座に連記されている。

中山寺の信徒会館休憩所の前の広場にあります。

道標62
所在地:中山寺信徒館西

62img_184309
正: すくおくのゐん道 是より
                十八丁

62img_184409
左: 世話人大坂傘講
        大和屋与八

62img_184509
右:    教岸
    繹 妙煩  霊位
      妙正

解説:奥の院への出入り口左側に立っている。
大和屋与八が教岸、妙煩、妙正の供養を兼ねて建立したものである。
刻印のなかに後日、墨入れを行っている。


信徒会館の西側、梅林と奥の院に向かう入り口です。

道標63
所在地:中山寺信徒館西


右: 宿坊寶蔵院

正: 左本山道是ヨリ十八町

左: 享保十九甲虎十二月
    施主 辰巳休海

解説:享保十九年=1734年
奥の院への出入り口右側に立っている。
刻印のなかに後日、墨入れを行っている。

63img_0879
道標62のすぐ上のこの場所だと思うのですが見当たらない。ここに新しい施設を作ってるようなのでその時にどこかに移設したのかな。
中山寺さんでお聞きしたんですがまだ解決せず。

道標64
所在地:中山寺墓地北西

64img_0872
正: 壹丁

右: 宿坊寶蔵院

左: 享保十九甲虎年十二月
      施主 辰巳休海

64img_0874
解説:享保十九年=1734年
道標63から奥の院へ向かう山道に一丁おきに立っている丁石であり、同時期に同一人物の手によって十八丁分全てが建立されている。
塩尾寺、清荒神等にも丁石は残されているが、これほど完備して現存しているのは中山寺奥の院の丁石のみであり貴重なものである。

この丁石は奥の院までちゃんと十八本ありますね。
道標62のところから梅林の入り口を過ぎたすぐ。

道標65
所在地:中山荘園3

65img_0866
正: 貮丁
65img_0868
右: 宿坊寶蔵院

左: 享保十九甲虎年十二月
     施主辰巳休海

解説: 享保十九年=1734年
足洗川を渡った四差路角に立つ。
道標64の丁石と同一形態のもので奥の院まで三丁、四丁・・・と正確に揃っている。
以下のものは省略する。

資料は三丁以下を省略ですが十八丁まで行きましょう。
Img_1313
三丁

Img_1315
四丁
Img_1316
五丁
Img_1318
六丁
Img_1319
七丁
Img_1321
八丁
Img_1323
九丁
Img_1324
十丁
Img_1328
十一丁
Img_1330
十二丁
Img_1331
十三丁
Img_1334
十四丁
Img_1336
十五丁
Img_1338
十六丁
Img_1340
十七丁
Img_1342
十八丁


道標66
所在地:中山荘園4

66img_0885
正: 左本山道

右: 宿坊寶蔵院

左: 享保十九甲虎年十一月
     施主 辰巳

解説: 享保十九年=1734年
奥の院への二丁石と三丁石の中間わき道の分岐点にある。
前記の丁石より、ひと月前に建立されたものである。

解説の通り二丁と三丁の間にあるので注意してれば見つかります。

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