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2014年7月20日 (日)

縄文の豊かさと限界

縄文の豊かさと限界:今村 啓爾

遙かなる海上の道:小田 静夫

縄文人に学ぶ:上田 篤

勾玉の事を調べようとおもって縄文時代の関係の本を続けて読んでみました。。

縄文時代の研究もだいぶ進んでるのでしょうけど、やはり遺跡自体が地中深くなるし、遺跡の存在自体が少ないと思われるので、それに古すぎてデータを憶測していくしかないようで、本の厚みも薄めですね。

いろんな人が言ってますが、日本人の文化や精神世界の根底位の部分を形成するところに、縄文時代からの日本列島人の生活がかなり残っているのではないかというのは僕もそう思います。

「縄文の豊かさと限界」の中で、縄文時代は安定した定住生活で継続的に順調に発展したのではなく、縄文前期の末約5000年前に人口減少があったとあります。
そしてその原因は何らかの食糧事情ということではっきりとは書いてない。

「遙かなる海上の道」は南方からの黒潮に乗って古代人が広く交流していた、ということ書いてあります。
南方の沖縄方面から九州のことを多く扱ってるのですが、そこでとくに注目してるのが火山の噴火ですね。
その火山噴火とは、約7000年~6500年前の鬼界カルデラの巨大噴火ですね。

縄文時代の中でこの鬼界カルデラの火山灰が時代を計る一つの基準になってるんですね。

上で紹介した縄文前期末の人口減少は、この鬼界カルデラ火山爆発が大きく関係してるんではないかと想像しますね。
火山灰が直接降り積もることで住む場所や食料の植物が無くなったり、それを食べる動物もいなくなるという影響ももちろんですが、火山灰が上空にとどまることで日照が無くなり植物の生育が悪くなるというのは影響が長期になりますからね。

古代人が、フィリピン~台湾~沖縄~九州の海の道を行っていたというのもすごいことですが、東京の南、伊豆諸島~小笠原諸島の海上交通を行き来していたというのはすごいですね。
前回に書きましたが、縄文人も道具に対してのこだわりはすごかったらしく、伊豆諸島の神津島の黒曜石を海を越えて求めていたというのも面白いですね。

「縄文時に学ぶ」の上田先生は建築関係の官僚出身で、古代史・歴史の専門家ではありませんね。そういうことで現代文化に残る縄文時代の面影を、自由に語っていらっしゃいます。
今に残るものと縄文文化をいろいろと結び付けて語られるわけですが、話がいろんなところに飛び過ぎてちょっとわかりにくいかな。
突然聖徳太子の「和をもって貴しとなす」の言葉を紹介されるけど、その2行ほどで終わったり。古事記の神話と絡めたりというのも、先生の広い知識の中でいろいろ結びつくのでしょうが、広がり過ぎで一つ一つの説明が薄くなってわかりにくかった。
まあ新書なんで縄文文化の側面を読む感じでいいかな。

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