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2013年11月 4日 (月)

【宝塚】たからづか歴史散歩:ガイドマップ「街道・道標」

巡礼街道・道標

たからづか歴史散歩ガイドブックの街道筋と道標の紹介です。

たからづか歴史散歩①
たからづか歴史散歩②
たからづか歴史散歩③
たからづか歴史散歩④もどうぞ

巡礼街道
勝尾寺(箕面市)~平井~山本~中山寺~川面~生瀬(西宮市)~清水寺(社町)
平安時代、花山法皇により創設されたと伝えられる観音霊場めぐりで、和歌山県那智の青岸渡寺を1番札所とし、岐阜の華厳寺を結願札所とする西国三十三所観音霊場の道。中山寺は24番札所で23番の勝尾寺から25番の清水寺に至る道筋が残っています。江戸期以降民衆の巡礼の増加により市内には多くの道標が残っています。

京伏見街道
京都~伏見~山崎~郡山~瀬川~半町~池田~加茂~小浜~生瀬~名塩
慶長十年(1605)の国絵図などに描かれた古い街道の一つで、京都との交易に使われた道筋。片桐且元によって出された慶長十一年の触書によって小浜が「馬継ぎ箇所」として規定されました。絵図には一里塚なども記されています。

丹波街道
伊丹~口谷~満願寺~多田~丹波篠山
酒造りの季節職人である杜氏や炭、杣、山菜、丹波焼などの日用物資を運んだ道筋で、市内を南北に抜ける数少ない道筋です。

西宮街道
西宮~大市~小林~伊孑志~小浜~生瀬
灘五郷の西宮へ米や酒、年貢などを運ぶための道で、馬に荷を運ばせたことから「馬街道」の名もあります。小浜と西宮の間で荷継ぎの権利をめぐって江戸初期には論争も起きています。小浜は江戸期酒づくりでも有名でした。

有馬街道(有馬三田往来道)
大坂~伊丹~安倉~小浜~米谷~生瀬~船坂~湯山(有馬)
古くから知られた有馬温泉への湯治の道で『日本書紀』舒明天皇三年(631)の条に有馬行幸の記事が見えます。本願寺の蓮如がこの道を利用し米谷(舞谷)を通り有馬へ行った記録があり、豊臣秀吉も有馬湯治の際にこの街道を通過した可能性があります。

道標1 小林の寛保二年銘道標
平林寺参道の分岐点に立つ道標で、寛保二年(1742)の銘があります。正面に平林寺本堂と右側に西山道と西宮への抜け道が示されています。

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逆瀬川から小林に向けて西宮街道を通ってたらありました。西宮街道も初めて通りましたね。もうひとつ線路に近い側の道が旧道と思ってましたが、もっと古い街道筋があったのですね、いろいろ発見があります。ほんとに旧道なので自転車が一番いいです。

道標2 塩尾寺観音道道標
旧県道と塩尾寺参道の分岐点に立つ道標で、塩尾寺への十八丁の距離を指しています。

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南口から逆瀬川の方へ抜ける道沿いにありました。

道標3 湯本町の塩尾寺参道丁石
塩尾寺参道15丁を示す道標が2本並んで立っています。一本は明治32年、もう一本は大正元年に立てられたもので、大坂の商人の寄進によるものです。

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宝塚温泉の交差点から細い道をちょっと登ったところにありました。
甲子園学園方面に行けばいいです。

道標4 月見橋付近の道標
月見橋を渡ったところに2本並んで立っています。1本は宝塚大黒をもう1本は宝塚不動尊を示しています。不動尊をしめした道標の丙子三月は昭和11年と考えられます。

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先ほどの道をどんどん登っていきます。このあたりは閑静な住宅街になってるんですね。
しかし温泉街からはかなり急な上り坂になります。月見橋を越えてすぐにありました。

道標5 塩尾寺参道の石燈籠道標
塩尾寺の参道休憩所にある道標で、石燈籠の下に大阪高砂屋の願主があり、天保15年(1844)の銘があります。もと宝塚南口にあったものを移動したものです。
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塩尾寺へ登る道をどんどん登るとちょっと開けた公園のようなところが休憩所です。休憩所に向かって右側にある灯籠がこれです。ここも知らなかったですがものすごく見晴らしがいいところです。

道標6 巡礼街道沿いの道標
正面に「願主若林嘉兵衛」左に「すく中山寺」右面に「右荒神道」とあります。若林嘉兵衛は灘の酒屋で、このほかにも同人が立てた数本の道標が残っています。
Img_187406_2_2

売布神社から旧橋本関雪邸の前の巡礼街道をさらに進むとあります。ちょっとわかりにくいですが、このマップを気にしながら歩くと関係ない石碑も気になってきますので大丈夫でしょう!

道標7 中山寺山門前安政二年道標
中山寺の山門前に西国巡礼の「花山院五里半」と刻まれた道標で、安政二(1855)年の銘があり、またこのそばに「清荒神王道十二丁」の道標がならんでいます。

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「花山院五里半」と書かれてます。隣に「清荒神王道十二丁」の道標があり、その横にも2本ほど石碑がありますが、いちばん左がそれです。
@中山寺山門前

番外:「宝塚 清荒神 道標」
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さきの道路元標の向かい側にこれを発見。字体もきれいしはっきりしてるので、最近作られたものか?よく見れば市内には結構道標があちらこちらにありますね!
宝塚文化財資料:たからづかの道標に載ってました。やはり比較的新しいものようです。

道標8 中山寺華蔵院庭内道標
永正14年(1517)に立てられた丁石を天和三年(1683)に道標に再利用したもので、「右ハきよ水、左ハひょうご道」の銘が背面にあります。市内最古の丁石で宝塚市指定文化財。

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裏側に「右ハきよ水、左ハひょうご道」銘がある。ほとんど判読不能でした。
さぁこれが問題の石碑です。今回はガイドマップをもとに目的地をさがしていきますが、ガイドマップの⑧を頼りに探したけど見つけることが出来なかった道標です。
ガイドマップの⑧の場所は中山寺山門のちょっと西な感じなんですよ。道標なので当然道沿いにあると思って何度も付近の巡礼街道を行ったり来たりしたんですが発見できず、家に帰ってからガイドブックの説明をよく読んだら「華蔵院庭内」と書いてあるではないですか!

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華蔵院は中山寺の山門を入ってすぐ右側のお寺です。そこに行けばあるのか、と思い後日探しあてました。
しかし華蔵院の中に入ってもすぐには見つけることが出来なかったです。うろうろしてやっと見つけました。
@華蔵院を入って左ななめの場所です。わかりにくいです。

道標9 中山寺奥の院への丁石
中山寺の西の墓地付近から奥の院へいたる十八丁の間に1丁(約100m)おきに18本の道標が立っています。享保19年(1734)に辰巳休海によって立てられたものです。また信徒会館の西に「左本山道是ヨリ十八町」の道標があり同一人によって立てられたものです。

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@観音茶屋の裏です。
「左本山道是ヨリ十八町」このすぐ右手にあるはずなんで探しましたが見当たらないです。
すぐ奥に見える施設を作るために移設されたんではないかと思います。

道標10 巡礼街道沿いの道標
中山寺を示す大きな道標で、「すぐ中山寺道」と大きな字で記されています。宝暦三年(1753)の銘があり、妙玄寺の法界石とともにしだれ桜のそばにあります。

Img_172210
以前は民家にあったようです。
「すぐ中山道」と見えますね。右にちょっと見えてるのが妙玄寺の法界石。

道標11 丹波街道沿いの道標
巡礼街道と丹波街道の分岐点に大坂御瀧講の人々によって立てられた道標があります。右側には最明寺まで八丁の道程が示されています。
37img_0807

前は何度探しても見つからなかった!と書いてましたが、「たからづかの道標」でも当然紹介されていて、その付属の地図の方が解りやすく発見できました。
完全に民家の敷地に取り込まれてる感じです。
そしてこの画像の手前に埋もれてる道標があります。
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これです。もうまったく時は判らないですね・・・

番外:現代の標識
Img_1736
巡礼街道沿いには市によって建てられたと思われるこのような標識が時々設置されてます。方向と距離が書いてあるのでとても参考になります。

道標12 切畑山中の満願寺への道標
満願寺へいたる丹波街道沿いにある道標で、満願寺へ至る正道と大道が阿弥陀如来を示す梵字の下に端正な文字で示されています。

道標13 満願寺の天保六年銘道標
丹波街道の途中にある道標で、昭和49年谷に落ちていたのを見つけ引き上げました。天保6年(1835)の銘があり正面に「右満願寺多田 左たん者みち」とあります。たん者は丹波のことです。
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満願寺からちょっと西に行き井植山荘の看板の方に行けばあります。
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右満願寺と見えますね。

道標14 旧和田家住宅内道標
もと小浜の東口にあったもので、「右西の宮 兵庫道」とあり弘化三年(1846)の銘があります。和田家ゆかりの和田源右衛門が造立したものです。
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旧和田家の庭の奥にあるので、和田家の管理人の先生に案内してもらいましょう。その時にいろいろ話をきくとよいでしょう。

道標15 小浜皇大神社前道標
小浜から清水寺へいく道筋に建てられた道標で、「右きよ水」とあり、周囲に干支と願主の干支が書かれています。
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皇大神社の写真にも映ってますね、神社の入り口の右側にあります。
清水寺とは社町の清水寺です。

道標16 小浜宿資料館内道標
もと小林3丁目にあった道標で、小浜から西宮に向かう街道沿いの道標で、元禄15年(1702)の銘があり、左側には小浜と有馬方面への案内があります。また、もう1本の小林にあった道標は有馬道を示すものです。
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小浜宿資料館の中の更に中庭のようなところで、資料館の先生にお願いして見せてもらわないとだめです。
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もう1本と書いてありますが、ここには他に3本あります。説明書きの有馬道の道標は右の道標だと思われます。
後の2本は宝塚の道標にあるものだと思われます。


道標17 小浜の元禄十五年銘道標
正面に「従是右昆陽寺行」右側に「きょうき与尼崎江」とあります。きょうきは行基のこと、元禄十五年は1702年。平成8年の道路工事の際、地表下から出土したものです。
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小浜の交番の南です。
この歴史マップではこちらの新しく発見された道標を紹介してるのですね。
「たからづかの道標」に紹介されてるのは、このすぐ北側交番の前にある道標です。

道標18 小浜の西宮街道沿いの道標
小浜南口から首地蔵に向かう角にあり、伊孑志を経て西宮へむかう道筋が示されています。貞享四年(1687)の銘があります。
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小浜小学校から首地蔵の方へ曲がる角にあります。道路を新しくした時にだいぶ埋まったようですね、下の方は読めないです。

道標19 安倉の享保21年(1736)銘道標
有馬街道が宝塚市へ入った場所に所在する道標で、天神川沿いに右へ行くと中山への近道を、左へ行くと小浜、有馬方面を指しています。
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@天王寺川を渡る手前です。

道標20 切畑の四つ辻道標
矢印で、正面に「武田尾四十丁」左側面に「いぶち銀山ひろね」とあります。芝辻新田にも同一人によって立てられた道標があります。
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この石碑も問題でして、切畑の四つ辻は新名神の接続道路の工事で拡張されてます。その工事に伴って邪魔になったのか道路には道標が見当たりません!そこで近くを探して発見しました。
このことを直宮先生に伝えたら、なんと市の方では行方不明の状態だったと!僕の方が先に発見していたようです!
また元通りにしていただけるといいのですが。
Img_2074
横倒しになってますが、はっきり「たけだを」と読めますね。

道標21 長谷大池畔の道標
正面に南無阿弥陀仏の刻印があり、「右ながたにさそ利」「左たかひら三田」とあります。出雲出身の行者が建てたものです。

道標22 西国三拾三所供養道標
寛政四年(1792)に建てられた板碑状のもので、正面に「右さそりむつのせ」「左はず川」とあり、三田の木器に至る道筋にあったものです。寛政4年(1792)の銘があります。

さあこの道標も問題です。切畑の道標同様この道標があるべき場所も道路工事中でして、周辺を探しても見つかりません!こちらも直宮先生のほうで工事中に無くなったものと認識されてるようです。しかし市の道路工事なのにかなりいい加減なことをしてるのには呆れるよりほかありませんね。アスファルトと一緒に産廃処理しちゃったんでしょうか!?市の資産をなんと思ってるんでしょうか!

道標23 大原野の文化十年銘道標
波豆から大原野~銀山への分岐点にあり、正面に「右池田伊丹、左多田院妙見」とあります。背面には力士の四股名「常磐山」の銘が入っています。文化十年は1813年。

Img_2083
右池田 左多田 の文字は見えますね。

道標24 波豆の文久三年銘道標
千刈ドライブインの庭内にあるもので、正面に「右清水、三田道」右に「すく妙見」とあります。「すく」は[まっすぐ]の意。文久3年は1863年。

こらは千刈ドライブインの庭内にあると書いてあります。ドライブインは石龕の手前の食堂だと思うのですが、営業中だったので、ずかずか入る勇気がなかったのでまたの機会に・・・

道路元標A 小林の良元村の道路元標
大正8年の道路法施行令によって定められたもので、武庫郡良元村のものです。道路元標は里程を定める基礎となっていました。
Img_2160

小林会館の入り口付近にあります。

道路元標B 泉町の小浜村の道路元標
内務省令により幅25cm高さ60cm、頭部はアーチ形ときめられましたが、川辺郡のものは頭部の先端がやや尖っています。

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小浜宿の東口からそのまま東へ行き中国道をくぐった先です。

道路元標C  中山寺前の長尾村道路元標
旧川辺郡の道路元標は川西や猪名川町のものも含め、内務省令の規格と異なるものが多く、その原因はよくわかっていません。

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明治時代の道路法によって建てられたものだそうです。まだ新しいから字も判読できますね。
@中山寺山門のすぐ西側トイレ前

道路元標D 大原野の西谷村道路元標
阪神間で明治22年4月に定められた旧四村全域で道路元標が遺存しているのは宝塚市だけです。

Img_2084
道標23と並んで立ってます。明治時代に建てられた石碑なので字もはっきり見えますね。
この道標の位置はガイドマップではどこかわからない。神社からは勘で行きましょう!
神社の西の道をちょっと北へすぐです。宝山寺に行く道沿い。

まだ数カ所行けてないですが、だいたいは紹介できたかな。

道標に関しては、結構現代の道路工事に置いて粗末に扱われて、紛失するケースが多くあるようです。
工事する人にとっては、ただの石造物なんでしょうね、残念です。
しかし公共工事なので、市の担当者が放置してるのは納得できないな~
逆に民家や市に保存されてた道標を小浜宿資料館等に移設保存するということも行われていて、いいことだと思います。

それでも宝塚市は”宝塚歌劇”によりかかり過ぎで、もっと古い歴史遺産についてはものすごく手薄な気がするので残念です。

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