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2013年8月 5日 (月)

【宝塚】たからづか歴史散歩:ガイドマップ③

たからづか歴史散歩:ガイドマップの3回目ですよ!

③では41~56までを紹介していこうと思います。
地域はひばりが丘、小浜、安倉あたりです。

たからづか歴史散歩① 
たからづか歴史散歩②
たからづか歴史散歩④
たからづか歴史散歩:街道・道標
 
もどうぞ

改訂版 が出てます。変更箇所はこちらを見てください。

グーグルマップ にポイントを落としましたこちら からどうぞ。
道標・街道 マップも作りました。
マップの街道筋は、今も道路が残ってるところもありますが、道筋が変っていたり道が無い部分等は想像で線をひいてる部分もありますので、参考までにしていただければと思います。

最近ガイドマップを眺め、画像をチェックしグーグル等で地図を見ていろんなこと考えてるといろいろ気付くことがあったり、なんでだろと疑問に思うことが出てきます。
やっと気付いたのは、ガイドマップに載せなかった道標がある一方、なぜこれを載せてるのか?その意味は?と思ってたら、あえて近くにある道路沿いの道標ではなく、施設の中の道標を載せることでその施設の中にも立ち寄ることを意図してるんですね。
まぁ考えたら当たり前か。実際ぼくがこれで廻ってていままで入ったことのない施設にも行こうと思ってるだけでもこのガイドマップの作戦は成功ですね。
しかしここに載ってない道標がけっこう道端にあってすごく気になる!

その後、直宮先生にまた質問に行った時に宝塚のすべての道標の資料をいただいた、それもまた機会があれば巡ってみたい。

41・大宝寺【H-2】
曹洞宗のお寺ですが、創建など詳しいことはわかっていません。不動堂にある不動明王坐像は室町時代末頃のものと推定されています。また、境内にある宝篋印塔月輪内に胎蔵界四仏の種子を刻んだもので鎌倉時代末頃のものです。
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場所は平井2-16かな?山本駅から巡礼街道を東に行き丹波街道を左に上がっていくのですが、細い入り組んだ道でわかりにくいです。普通の地図も見ていくといいでしょう。

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宝篋印塔。

42・万籟山古墳【I-2】
4世紀頃に築かれた全長約54mの前方後円墳で、現在、雲雀丘ゴルフ場の敷地内に残っています。後円部には長さ6.8mほどの竪穴式石室があり、石室の床面には木棺が置かれていた跡がU字型に残っています。(非公開)

43・最明寺滝【H-2】
出家して最明寺入道と呼ばれた鎌倉幕府の5代執権北条時頼が、この地に庵を結んだといわれることからこの名があります。江戸時代に記された『摂津名所図会』にも景勝地として紹介されており、滝を見る人々の様子が描かれています。
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山本駅から山の方へ行き、川沿いを上っていきますが、登山道です。
満願寺から井植山荘を抜けて下りていっても行けますね。
登山道が途中で分かれてたりするからちょっと不安になるけど、下から行ったらわかりやすいかな?

44・井植山荘【H-2】
自然の美しさを生かしながら築かれた別荘で、三洋電機の井植氏の所有であることから「井植山荘」と呼ばれています。山荘内には『摂津名所図会』に足形石と記されている仏足石も残されています(非公開)。
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満願寺から行くと、ちょっと先にこんな看板が出てた。

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入れないのでここまで。
それにしてもあの三洋電機がいまは無くなってしまうとは、まさに諸行無常ですね。

45・満願寺【I-1】
多田に本拠をおいた源満仲が帰依して繁栄したという関係などから、寺地は川西市の飛び地になっています。境内の九重の石塔は国の重要文化財。裏山の自然林は瀬戸内沿岸の典型的なシイ林で宝塚市及び川西市指定の天然記念物になっています。
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満願寺入り口。地図にも載ってる有名なお寺さんなのでわかるでしょう。
阪急雲雀丘駅の東側の踏切を道なりに山の方へ上がっていくとあります。

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九重の石塔。

46・万年坂地蔵石仏【I-1】
雲雀丘から満願寺へ向かう途中の通称「万年坂」に、花崗岩の自然石に彫られた地蔵立像があります。鎌倉時代の後半に作られたものと思われる市内最古の地蔵像で市指定の文化財になっています。
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雲雀丘から満願寺の道を上がっていくと一段高くなってるところに大きな石が見えてきます。場所はちょうど宝塚大学の入り口すぐ手前ですね。宝塚大学も規模縮小?生徒募集停止ですか?

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大きな石に仏様の形が彫られています。

47・切畑群集墳1号墳【J-1】
雲雀丘から中山寺の辺りにかけての長尾山丘陵には、6世紀から7世紀にかけて群集墳と呼ばれる多くの古墳が造られ、この古墳もそれらの1つです。横穴式石室を持つ直径15mほどの円墳で、この地方の有力者の墓だと考えられます。
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さすがに途中からは押して登りました。満願寺の帰りにまた寄ってみた。
雲雀丘山手1、生成幼稚園正門横。

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石室入り口。

48・旧和田家住宅【F-4】
市内に残る最古級の民家で、江戸時代の中頃までに築かれ、角屋座敷や納戸構えなどの特徴を持っています。旧所有者の和田家は代々、米谷村飯野藩の庄屋をつとめ、多くの古文書が残されていました。その古文書の一部を展示しています。
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月曜が休館でした。和田家の中には管理の先生がおられます。建物の説明など親切にいろいろと教えていただけます。阪神大震災で傷んだようですが、江戸時代からそのままの壁なども残っていてすごいです。
中庭に道標の石碑があります。
有馬街道沿いで、小浜宿を抜けたところにあります。マピオンでは市立歴史民俗資料館となってますね。

49・とんかち館(小浜工房館)【F-4】
小浜は宿場町だけではなく、大工の町という顔も持っていました。このような歴史を踏まえ、陶芸や木工など手作業的な工房活動を行う場として、多彩な講座やイベントを展開しています。
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小浜は大工さんの街だったそうです。それでこういう施設があります。以前、まえを通りかかった時コスプレのイベントやってたな・・・
ちょっと中に入ってみた。入り口の横の事務所らしきところに人はいたけど別に入館者には興味はないようでした。パンフレット入れにはこことんかち館で行われている各種の教室の案内が置いてありました。
こちらは小浜宿の中、有馬街道沿いです。

このとんかち館は2016年度からは休館になるのかな。

50・小浜宿資料館【F-4・5
小浜は15世紀末に毫摂寺の寺内町として成立したところで、有馬街道、西宮街道、京伏見街道が交わる地点で、江戸時代には宿場町として繁栄し、酒造りや大工の町としても知られていました。資料館では昔の町並みの模型や大工道具などを展示しています。
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初めて中に入りましたが、小浜宿の歴史が分るような展示と、一部宝塚市内での発掘遺物も展示されてました。それと、近代の庶民の暮らしが解るような古い道具が展示してあります。展示してある物のほとんどは資料館のお隣の民家にあったものだそうです。
ここの中庭にも市内にあった道標が移動展示してあります。
管理の先生に言って見せてもらいましょう。

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西宮街道から小浜宿に入るところに大きな看板があります。

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小浜宿を通ると何軒かこんな感じで昔の宿の雰囲気が分るような街並みになっております。

51・毫摂寺【F-5】
浄土真宗本願寺派のお寺で「小浜御坊」とも呼ばれ、豊臣秀吉も有馬へ行く途中に立ち寄ったといいます。秀吉の甥の秀次は、このお寺の娘の亀姫を側室にしましたが、秀次が謀反の疑いで切腹させられた時、亀姫も京都で処刑されたとの悲話が伝えられています。
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ごうしょうじと読みます。小浜宿資料館の裏になります。
2014年に瓦の葺き替え工事してましたね。

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小浜宿資料館の先生が教えてくれたのですが、この石燈籠も元禄時代の古いものです。

52・皇大神社【F-5】
天照皇大神と天児屋根命を祭神とする神社です。境内には小浜戎もまつられており、1月の戎祭りには大変にぎわいます。市の保護樹木のムクは巨大なもので、秋祭りにくりだすだんじりも勇壮なものです。
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皇大神社は地元の戎神社として知られてますね。小浜宿の西側の筋にあります。
石燈籠の根もとにあるのが道標です。
ここが小浜宿の地域の西端側になりますが、この神社の裏が谷になってるのですよね。

53・首地蔵【F-5】
馬街道沿いの高台に首から上だけのお地蔵様があります。洪水の時に武庫川の上流から流れてきたとか、伊丹の殿様がおまつりしたものだとかいわれますが詳しいことはわかりません。首から上の病気に御利益があるといい、近年、「頭がよくなる」とされ受験生のお参りも増えています。
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小浜宿から西宮街道の方に下りてすぐ右に曲がっていくと出てきます。
首から上だけのお地蔵様です。この場所は道沿いにあるんだけど、道路より高いところにあって階段を上らないとだめです。
近くに看板は出ててわかりやすいけどお地蔵さんが見えないのでちょっと探しづらいかも。小浜5-1。

54・安倉住吉神社【G-5】
上筒男命、中筒男命、底筒男命を祭神とする神社で、天長二年(825)の創建と伝えられますが詳しいことはわかっていません。10月の例祭にはだんじりが出て、威勢の良いかけ声とともに町内を巡幸します。
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安倉中にあります。あまりにも地元すぎる!
この画像の反対側に道標がひっそりあります。

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安倉中2-10。

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市内を散策しているとこのような地元の地域を案内する看板が設置されています。これを参考に散歩するのもいいでしょう。

55・安倉高塚古墳【G-6】
古墳時代の前期(4世紀末頃)に造られた円墳ですが、戦前、道路拡張の際に半分が壊されました。その時に、川原石積みの竪穴式石室から赤烏七年(244)の中国・呉の年号が入った銅鏡などが見つかっています。
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この道が分かればすぐに見つけることができます。ここで出土した銅鏡は日本では2面しか出てない”呉鏡”で大変珍しいものです。現物はなかなか見ることはできないですが、レプリカは小浜宿にあります。安倉南1-4。
画像では緑のシートをかけていますが、現在は土の流出防止で表面を処理してあります。

56・寛文八年道標【G-6】
大坂・伊丹から小浜を通り有馬へ向かう道は有馬街道と呼ばれていました。この街道の伊丹と尼崎の分岐点に立っている通称「姥ヶ茶屋」ばんがちゃやの道標は、寛文八年(1668)のもので、兵庫県下で最も古い道標の1つです。
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寛文八年道標は右の祠の中にある奥のちょっと背の高くなってる石碑です。
宝塚の史跡めぐりは、この祠の右奥に道標の説明板があるのだけど、石碑が見当たらなくて、役所に聞きに行ったのが始まりです。
昔見た時は説明板のすぐ横に石碑もあったのですよ、しかし現在は道路を広げた時に現在の場所に移動したようです。そして説明板と離れてるので知らなければどれが道標か判らないと思います。

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説明板
昔はこの説明板のすぐそばにあり、祠もなくむき出しで、横の「みぎ あまがさき」「ひだり いたみ」の文字も見えた記憶がありますが、今は祠の中にあるので読めないです。
安倉南4-13。

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