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2013年7月10日 (水)

【宝塚】たからづか歴史散歩・ガイドマップ①

たからづか歴史散歩:ガイドマップ 

たからづか歴史散歩:ガイドマップ② 
たからづか歴史散歩:ガイドマップ③ 
たからづか歴史散歩:ガイドマップ④
たからづか歴史散歩:ガイドブック:街道・道標

改訂版 が出てます。変更箇所はこちらを見てください。

歴史散歩マップにポイントを落としましたこちら からどうぞ。
既に行けたところは結構正確な位置です。
道標・街道マップも作りました。
マップの街道筋は、今も道路が残ってるところもありますが、道筋が変っていたり道が無い部分等は想像で線をひいてる部分もありますので、参考までにしていただければと思います。

市役所で直宮先生にお会いした時に、宝塚市が作った市内の歴史的遺産を紹介したガイドブックをいただいたので、サイクリングがてら市内の史跡巡りをしています。
このガイドブックを頼りに史跡巡りができるか?という確認もしてみたいと思います。
40年近く宝塚に住んでますが、これを見れば知らない場所も多いですよ!

このガイドブックは宝塚市内の観光スポット等に置いてあるのでしょうか?
確認してませんが、市役所の教育委員会の社会教育課に行けばたぶんもらえるでしょう。僕はそこで直宮先生に直接いただいたので。
ガイドブックの設置場所も今度確認してみましょう。
旧和田家住宅には置いてあるそうです。しかし部数は少ないようです。

宝塚市内には、弥生時代から現代にいたるまで多くの歴史的なものがあり、それを地図で場所を示し、反対の面には簡単な説明書きが書いてあります。
おそらく直宮先生が作られたのだろうと思いますが、建物等の場所が75か所、街道筋を5街道、道標を24か所、道路元標を4か所紹介されています。
あわせて何箇所でしょうか・・・たくさんですね。108か所ですね・・・
いま数えて気付いた、108の煩悩の数に合わせてあるのか!
偶然ではないでしょう、仕込んでありますね。これまた先生に質問ですね。
追記:直宮先生に聞きました!108は偶然だということでした。

ということでこのガイドブックを頼りにヴァクセンくんで廻ってるのですが、宝塚市もそこそこ広いし、神社や石碑が結構わかりにくいところにあったりで、結構時間がかかります。

これまた今気付いた!
説明書きの前の数字が地図のポイントの番号です、それはすぐ解るんですが、史跡名称の後ろの【G-6】は地図の枠外、上にアルファベットが右側に数字があるのでその交点に目的地があることを示してるんですね。結構親切ですね。今気付いたけど・・・

それでは宝塚の史跡めぐりと参りましょうか。
今までばらばらに紹介してきましたが、一番から順番に紹介するように改良していこうと思います。
画像の無いところはまだ行けてないところです。ガイドマップの紹介文は太字で書きます。

ガイドマップの1~18までを紹介します。
仁川から小林、逆瀬川、宝塚方面です。

1・五ヶ山古墳群【D-8】
五ヶ山古墳群には4基の古墳があり、1号墳(既に消滅)・2号墳は西宮市、3・4号墳は宝塚市にあります。宝塚市の指定史跡の4号墳は、公園内に保存されており、全長10mほどの横穴式石室を持つ円墳で6世紀末から7世紀初頭にかけて築かれたものです。
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画像は3号墳です。ここは20年ほど前はまだ住宅地にはなってなくて見晴らしのいい夜景スポットでしたね、イノシシも出ました。ここのすぐ先に2号墳があります。

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4号墳もやっと行って来た。ここ解りにくいですね!住所は仁川高丸3丁目15。
近くの給水塔の下のところから階段で上がっていくと公園があります。

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看板の奥に石室がむき出しになった古墳があります。ここからの景色も素晴らしいですね。

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給水塔の登り口。

以前この古墳にペンキでいたずら書きをされたそうですが、風雨で自然に消えたそうです。

2・弁天池【E-8】
阪急電車で仁川駅から小林へ向かうと西側に大きな池が見えます。この池は弁天池と呼ばれ灌漑用のため池でした。「仁川の大池」とも呼ばれ、子供たちを池に引っ張り込む池のヌシが、逆に子供たちに捕まえられたという民話も伝わっています。
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仁川駅の競馬場側の反対、山側(西側)にこんな大きな池があったんですね、知りませんでした。きれいな遊歩道も整備された公園になってますね。

3・熊野神社【E-8】
伊邪那美之命などを祭神とする神社です。奈良の春日大社からこの熊野神社へ雌雄2頭の使いの鹿がやってきた時に、雌鹿の姿を見失った雄鹿が、井戸に映った自分の姿を雌鹿とまちがえ井戸に飛び込み死んだため、塩漬けにして奈良に送り返したところから「鹿塩」という地名ができたとの伝承があります。
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弁天池から線路沿いに行けばここに出ます。階段を上れば神社です。

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4・宝塚(阪神)競馬場【F-8】
4月に行われる「桜花賞」や7月の「宝塚記念」などのレースの開催地として有名な競馬場です。雄大な建物はパドックとともに、チョウが羽を広げたような大屋根でおおわれ、宝塚のランドマークの一つになっています。
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阪神競馬場は皆さんご存知でしょう。阪急仁川駅からすぐです。建て替え整備で奇麗になりましたね。建て替え直後に震災があって建物自体が動いたなんて話を聞きましたが、ほんとのところはどうなんでしょう。馬をやらない人でも普通の公園として整備されているところがあるので子供がいる方は遊びに連れて行ってあげたらいのではないでしょうか。
画像は仁川駅前、小曾根線に出たところから。

5・高司素盞嗚神社【F-7】
素盞嗚命をまつるこの神社の本殿は一間社流造で、江戸時代前期に造られたものです。左右の相殿も江戸時代中期に建てられたもので、同一社内で江戸時代各時期の建築が見られる貴重な例として兵庫県指定の重要有形文化財になっています。

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この神社の森は小林から新橋に続く大きな道路から見えてるんですが、通りから入るので知らなかったです。画像は神社本殿に見えますが、この建物は江戸時代の本殿を守るように建てられた覆屋ですね。この中に古い本殿があるようでした。

6・小林聖心女子学院本館【E-7】
昭和2年に建築された本館は、アメリカの建築家レイモンドが設計した鉄筋コンクリート造りの建物です。教室、講堂、礼拝堂、などを配置し、角を曲線にするなどやわらかい印象があり国の登録文化財になってます。
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小林駅の近くから見える教会。学校の入り口を探すのに苦労した!小林駅から線路沿いに南に行って線路をくぐるように山側に抜ける道を行くと学校の入り口があるんですね、知りませんでした。この道はほとんど聖心専用ですね。

7・逆瀬川砂防堰堤【B-7】
逆瀬川上流域は、ひと雨で千石の砂を流すといわれるほどの荒れ地でしたが、明治時代の後半から全国の先駆けとして築かれた砂防堰堤などにより、流域の水害は大きく減りました。

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逆瀬川沿いを西高のところまで登って行ったところあたりです。橋を渡った右岸側が公園として整備されてます。ここも何度も横は通ってたんですが、訪れたのは初めてでした。

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県の事業として整備されたようで、砂防ダムや治水に関する説明書きが公園のオブジェのような建物の中にありました。

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オブジェの中の説明書き。

8・宝塚神社【E-6】
明治以前は山王権現と称して崇拝を受け、昭和40年には素盞嗚神社を合祀して宝塚神社と改めました。境内からの眺めはすばらしく初日の出を拝むには絶好の地です。また、1月10日の宝塚えびす祭りは大変にぎわいます。

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宝塚神社も初めて訪れました。逆瀬川の駅からちょっと小林寄りに西宮街道を行ったところにあります。武庫川の西側はあまり行かないし、とくに阪急今津線の山側はまったく知らない感じですね。阪急線が平地の一番山側を通ってるんですね、今津線を越えるとすぐに急な上り坂になります。ガイドの説明にもありますが、境内はちょっと登るだけですが、見晴らしはすごくいいですね。
宝塚神社を降りてきたところの会館の角に道路元標Aが、そこから東に行って西宮街道との交差点に道標1があります。

9・平林寺【E-6】
宝塚指定文化財の木造釈迦如来坐像を本尊とする平林寺は真言宗のお寺で、寺伝によると聖徳太子の開創と伝えられています。境内に置かれている石像露盤は宝形作りのお堂の屋根に置かれるもので、鎌倉時代のものです。

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平林寺さんも初めて行きました。線路沿いすぐのところにあるのに全然知りませんでした。しかし今津線を越えるといきなり山が始まる感じなんですね。宝塚神社のすぐ北側になります。西国三十三所巡りがありまして、そこに沿って登っていくと宝塚神社とつながってる。

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石造露盤

摂津三十三所第二番札所、摂津八十八所第七十三番札所にもなっている。御朱印は東側の塔頭で。

10・一本松地蔵【E-6】
かつて逆瀬川駅前の県道に面して、樹齢500年あまりの巨大な一本松があり、旅人の休憩場所になっていましたが、樹勢が衰え昭和33年に伐採されました。逆瀬川の繁栄はこの松の生命力を譲られたものとされ、その後、身代わり地蔵がまつられ「一本松地蔵」と呼ばれています。
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このお地蔵さんは意外なところに在りましたね。アピア1からアピア2に渡った所です。ここは人通りの多いところだし、僕自身も何度も側は通ってますが、今回初めて気付きました。毎日逆瀬川駅を利用してる人でもこのお地蔵さんのことを知らない人が結構いるのではないかと思いますね。

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石の説明板。

11・伊和志津神社【E-5】
平安時代に書かれた「延喜式神名帳」にその名を残す古い神社です。かつては武庫川の川辺近くにありましたが、水害を避けるため今の場所に移ったといいます。二間社春日造杮葺の本殿は江戸時代中頃のもので、宝塚市指定の文化財です。
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伊和志津神社さんも横の道は何度も通ったことがあるし、神社の下にトンネルを通したんで、どういう風になってるのか気にはなってましたが、訪れたのはこのマップ企画をしたからですね。
西側に自動車の入り口がありますが、本来の入り口は東側に鳥居があります。
いま方角を確認したんですが、この神社東向きですね。どうも宝塚市の西側地域は方角が分らない!安倉に住んでると山に向うと”北”六甲山が”西”なんだけど、逆瀬川は武庫川から分かれたところから南に振ってるから東西南北が分らなくなります。

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こんな立派な鳥居があるなんて知りませんでした。しかも階段が続いてる。
この階段の下に新しい道路をトンネルで通してるんですね。

12・伊孑志の渡し【F-5】
西宮と小浜をつなぐ西宮街道が武庫川を越えるところでは、江戸時代から橋が無く、「伊孑志の渡し」と呼ばれる渡し舟がありました。この伊孑志の渡しは大正の頃まで残っていたということです。
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渡しの石碑がこんなところにあるのを知ってる人が一体何人いるんでしょうか?
武庫川の堤防上にあるので、ここを散歩などをしてる人は石碑があるのは知ってるかもしれないですが、これが伊孑志の渡しとは気付いてないかも。
宝塚中学校の裏側になりますね。

13・宝塚ホテル【D-5】
古塚正治が設計したホテルで大正末年から昭和、平成にいたる約80年にわたって宝塚のランドマークであり、大正期のモダニズムを残す唯一の建物です。外観は切り妻屋根が残る4階建ての郊外型リゾート様式のホテルです。
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宝塚ホテルは友人の結婚パーティーで一度入ったことがあります。
その時は意識してなかったけど、その時に入った部屋は旧館の方だったのかも!映画「阪急電車」でも出てきてましたね。
現在は駅に向いて新館の正面玄関が東向きにあり、旧館が横に立ってるのは実は知らなかったです。しかも旧館は南向きで現在の入り口とは違ったのでしょうね。

今年2015年にこの宝塚ホテル旧館の取り壊しが発表されましたね、残念です。

14・宝塚温泉【D-4】
明治20年に開業した宝塚温泉は、炭酸ガスを含んだ塩類泉で神経痛・疲労回復などに効果があり、宝塚市発展の基礎になりました。平成14年1月には「湯の町宝塚」の復活をめざし新しい温泉施設がオープンしました。
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宝来橋の北詰、宝塚駅側からの温泉です。阪急の宝塚駅から橋を渡ればすぐ温泉街です。有馬温泉もやっと2年ほど前に初めて行ったくらいです。この宝来橋も再建ですね。昔は細くてしょぼかったイメージがあります。

やっと行ってきた。男性より女性用の施設の方が充実しています。
手ぶらで行っても大丈夫です。その日もハイキング途中の団体さんが来てました。820円です。透明な銀泉と茶色の金泉に入れます。レンタル水着を借りれば岩盤浴等も楽しめます。

15・塩尾寺【C-5】
室町時代に悪疾をわずらった老婆が観音様の功徳により、武庫川岸の柳の木の根元から湧く塩からい霊水で病を治し、その柳の木で彫った十一面観音像を塩尾寺にお祭りしたという話が伝えられています。この霊水が宝塚温泉の源泉だともいわれています。
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はじめ「えんぺいじ」と読めなかった。お寺の存在自体最近知った。宝塚温泉のところから細い道を上がっていきます。登り口のところから途中までに道標3・4・5があります。甲子園学園のところまではキャド10くんで漕いで行けましたがそこからは押して登りました。まだまだ鍛え方が足りませんね、また塩尾寺アタックしますよ!
まだアタック成功ならず。

16・宝塚大劇場【D-5】
大正3年に誕生した宝塚歌劇の華麗なステージは多くのファンを魅了し、宝塚のイメージをかたちづくっています。誕生当時、室内プールを改造した舞台から始まった歌劇場は火事による焼失や戦争末期の海軍による接収など幾多の変遷を経て、現在の建物は平成5年に建てられたものです。
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宝塚市のシンボル!宝塚歌劇!!
これのおかげで「宝塚に住んでます」というと宝塚を知らない人には100%「いいとこに住んでますね~」と言っていただけます(笑)中学生のころに一度だけ観賞しに行ったことがありますが、また子供を連れて行ってみたいですね。宝塚市民なのに一度も見たことがないというのはちょっと残念すぎるかな。
昔はこのあたりで茶髪のお姉ちゃんを見れば”宝塚の人”でしたが、いまは高校生でも茶髪だからぱっと見は、見分けつかないですね・・・

数十年ぶりに宝塚歌劇を観た。これは宝塚市が市民向けのサービスとして2回ほど市の貸し切り公演をしたときに2回目の抽選に当選して観ることができた。

この大劇場の門をくぐって(だれでも入れる)右の駐車場方面に行くと「宝塚海軍航空隊跡地」の石碑がある。

17・花のみち【D-4】
宝塚駅から宝塚大劇場などへ向かう「花のみち」は、春は桜が咲き誇るなど華やかで宝塚のイメージを象徴するような道といえます。中央部の歩道が一段高くなっているのは、もとはここが武庫川の堤防だったからです。
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さくらの時に行って来たので差し替え。

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大劇場の前の部分。小説「宝塚海軍航空隊」で終戦のどさくさで花の道が削られて通りやすくなったとされてるところか。

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宝塚といえば「小林一三先生」大劇場前にあります。

宝塚駅から歌劇場まで続く道ですね。昔はファミリーランドもあったし土産物屋さんとかいっぱいあってにぎやかな感じでしたが、いまはすっきりしすぎてちょっとさみしいですね。

18・手塚治虫記念館【E-5】
世界的な漫画家、手塚治虫が5歳から24歳までを過ごした宝塚での生活は、作品を作る上で大きな影響を与えることになりました。記念館では、映像ホールや手塚作品のライブラリー、アニメ制作体験など様々な形で「手塚治虫の世界」を満喫することができます。
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手塚治虫記念館もこのたび初めて中に入ってみました!
あまりアニメ好きでもないし、手塚先生に特別な思い入れもないので今まで行ってませんでした。
しかし、手塚先生の偉大さだけではなく、現在のアニメの歴史も分るし、そのアニメの歴史での手塚先生の果たした偉大な功績も解る素晴らしい施設でした。
自分の勝手な思いこみで、そんなに人は入ってないんじゃないかと思ってましたが、さすがは手塚治虫の名前はすごいんですね、結構観光客風の人が入ってたのでびっくりしました。市外や県外からも訪れる人があるんでしょうね。

最近この手塚治虫記念館の後ろ側、旧ファミリーランドが開発されて記念館横にも道路が通った。

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コメント

懐かしいですね。
西宮駅から中洲辺りまで一時間かけ夜中に歩きました。(笑)
弁天池に有る建造物が誰のお宅なんだろうと…(笑)
仁川と小林の間に小さな踏切があり側にあるお寺の方が富岡鉄斎との縁戚関係者と聞きました。
小林の女学院の麓に古びた洋館に春先に咲いたこぶしの花が毎年 見事に咲いていましたね。

昔々 宝塚の中洲のダンスホールがあり 宝楽と言う旅館があり南口の宝塚ホテルとダンスホールの間をボンネットバスが運行していました。
昔々 表の道路から入ると噴水があり右側に宝塚会館があり 奥にダンスホール 右側に宝楽の旅館 手前にお稲荷さんとうどん屋さんが有りました。(笑)
ビリヤードもあり風呂屋も…
茅葺きの家も有りました。
お稲荷さんは位置が変わりビリヤードは住まいに銭湯は昭和四十年始め頃まで営業をしていましたね。
逆瀬川の松ノ木ですが たしか饅頭屋さんが側に有ったと記憶しています。
逆瀬川を川上に行き左側に藤の棚がある茶店を左側に行けば仁川ピクニックセンターに行き帰りに仁川の駅まで良く歩いて行きましたね。
宝塚第一小学校の側の川を川上に行くと教会があり右側に山側に行くと宝梅中学 手前 右側に行くと南口の三角の所に藤棚の茶店 売店がありましたね。
宝塚は藤の棚は有る所を良く目にしました。(笑)
昔々 宝梅中学の前の道が舗装されていない時は雨が降れば流れていました。

彦左衛門さま
僕の記事をきっかけに宝塚時代のことを思い出していただいたのであれば嬉しい限りです。
しかしガイドマップが作られた時からでも今は現状が変ってるところがありますね。今日の新聞にはついに宝塚ホテルの旧館を取り壊すという記事が!
僕は安倉に住んでるので、武庫川の西側はいまだに知らないところがほとんどです。
この記事を開く為にうろうろして初めて知ったことがたくさんありました。
そういえば仁川のピクニックセンターも閉鎖されて長くなりますね。

返信を有り難うございます。
宝塚ホテル旧館を壊すとは残念ですね。
正面に見て右側にはレストランの入り口がありましたね。
大昔 古き良き時代の宝塚の風情が乱開発で壊されて行くのには無念です。
ホテルの正面に右側の道を北にホテルの隣に宝塚警察があり道を挟んだ向かいに警察の駐車場があり隣に丸三食堂が角にあり丸三食堂の前の武庫川に行く坂道を下り武庫川のたもとの左側に大きな木造三階だったか旅館で たしか桜旅館と言うのがあり 向かいにゼンタンタクシーがありましたね。

近くの角に散髪屋さんが…

昔々の古き良き時代の宝塚 福知山線に蒸気機関車が走れば白い煙りが西側から見えました。(笑)
また、冷え込む頃になると宝塚動物園の猛獣 虎やライオンや象の鳴き声が聞こえていました。(笑)

私の小学生の頃にたしか上級生だったか市内の小学校から宝塚大劇場に月に一度だったのか忘れましたが映画教室があり映画を見に行った記憶が未だに残っています。

あの大劇場の全席が満員に成っていましたね。
宝塚南口駅は高架でなく踏切を挟んでありましたね。南側に阪急タクシーのロータリーがあり南口公設市場があり多和内科や森永の菓子屋さんや花月の映画館があり銭湯もありましたね。
武庫川大橋東に渡ると右側に郵便局 隣は大きな広場で真ん中に大きな樹齢何百年かの楠木が…
反対の左側の角に電伝公社の手前を川下には木村のパン屋 黒くまのジャム工場 動物園沿いの道にたしか黒壁の漬物屋さんが有ったかと…
古き良き時代の宝塚を思い出させて頂き ありがとうございました。
まだまだ語り尽くせないほど宝塚の話があります。(笑)

私の小学校の子供の頃に見返り岩の川側から何人かで素手で登ったりと(笑)ずいぶん危険な遊びを…(笑)
当時は自転車もなく歩きでの行動範囲は仁川 中山寺 塩尾寺 生瀬 逆瀬川 聖天さん 終点界隈 ぐらいと広かったですね。
本名を名乗ればご存知かも知れませんね。(^O^)

彦左衛門さま
いろいろと宝塚の昔の風景を語っていただきありがとうございます。
ぼくは1970年代の中ごろからの宝塚しか知らないので、彦左衛門さまよりかは、10~20年くらい若僧でしょうか。
このブログでは現在の宝塚の様子を紹介してますが、彦左衛門さんたち世代が持ってる写真等で昔の宝塚の紹介と保存ができればいいですね。
個人情報はネットでは神経質になりますね、僕は一応本名であります。

1970年中頃は開発の風潮で沸いていた頃ですね。 万博等々で…
当時は宝塚も徐々に開発の波に乗って来て大雨が降る度に如実に現れていましたね。
古き良き時代の宝塚の面影は写真などの画像は無く全て私の記憶に地図や画像が残っており地図を書けと言われても書けますね。(笑)
今の時代と違いカメラは高級品だけに…写真が無いのは残念です。
昔々の宝塚はチャラチャラしない町の雰囲気で映画俳優が普段 街中を歩いても騒ぐことも有りませんでした。
宝塚ダンスホールが営業を止めた後は宝塚映画の資材や時代劇のセットやらと代わって いつ頃だったか石原裕次郎氏が撮影に来て居たのを覚えております。
近所の方々は撮影を見たりと 他の撮影でも夜でも見学したりと面白かったです。
長谷川 北島 石原 後 色々な俳優が来ていましたね。(笑)
後 スリーファンキーズの高橋源太郎の三人が浴衣姿で武庫川で釣りをしていても誰も騒ぎませんですね。
甲子園の高校野球の三沢高校の太田幸治選手が宝楽を宿泊していた時に何処の女性かがグループを組 近所を徘徊していましたよ。(笑)
三沢高校の選手のバスに同乗させてもらい甲子園に応援に行きました。当時 三和グランドで練習をしていましたね。(笑)
松山商業と三沢高校の延長戦を見たことは良い思いででした。(笑)
三沢高校の前は東奥義塾高校の選手が来て中洲の銭湯に来ていましたね。(笑)
私の親が青森の出身の方に声をかけて選手のバスに同乗し甲子園に応援の参加を (笑)

今、思えば親は甲子園に来た高校生達を 宝塚海軍予科練に集まった少年達とだぶって見えたのかも知れません。

余談を失礼しました。 m(__)m

追記
昔々 大原女の姿 手甲脚半 絣の着物を来た女性が京都の食品を売りに来ていましたね。
大きなお宅や普通のお宅に風情のある時代

偶然でしょうがここで彦左衛門さんから昔の宝塚の話を聞いてると、実際に宝塚の話題が朝日新聞に出ますね~(笑)
宝塚ホテルの話題の次には当時東一のダンスホールがあったと。そしてそれを懐かしむイベントとして宝塚ホテルで元宝ジェンヌとの舞踏会を来年するそうですよ。
それにしても今は50年前からすると面影が無いくらいに変わってそうですね。

それは存じませんでした。

古き良き我が故郷をネットや情報や写真を見たりしていると…残念ですね。

昨今は特に酷いですね。

私の家系は代々 新聞などマスメディアは嫌いな家系です。(笑)

今の故郷の宝塚の価値を上げるよりも下げる様な方向に向いているのには残念ですね。

何故 大昔から住んで居た方々が宝塚を転出したのかの原因が全てを物語っていると思いますよ。
そうそう 小学生の頃に武庫川の川下から両岸まで網を張り川上に向けて登り長さ60センチ以上の鯉を捕っているのを何回か見た事が有ります。違法(笑)
親の話では宝塚ファミリーランドの池から雨で流れ出た鯉だとの話でした。

今の宝塚は昔々の古き良き時代の宝塚の面影は無いのは確かですね。 風景しかり人々の人間関係までも…

宝塚の阪急は一三さんと米三さん達が宝塚の良さに一番 尽力されたと思います。m(__)m
大企業の総帥の一三さんは実に気さくで切符のもぎり踏切の警手や列車の車掌をされておられお客で顔見知りの方には気さくに声をかけたりと…
当時は宝塚の実力者 地権者の方々も一三さんらと宝塚の発展には考えて居られた為に宝塚が伸びたのは過言では有りません。
歴史ある宝塚を時間をかけ育て上げたのを壊すのはアット言う間に…

宝塚ダンスホールを閉館が決まり近所の方々を招かれた時に一度 行きました。
二階席のテーブルから踊っているのを幼心に記憶していますよ。
また近所だっただけに子供の頃にクリスマスパーティーの翌日に使ったクラッカーや木製で紙鉄砲やら紙の帽子やら紙のメガネ?を閉館する年まで貰った事があり玩具には不自由はしませんでしたね。古き良き時代(笑)

戦前は外国人の方々や関西の財界の方やエノケンさんやら来られて 戦後は進駐軍の兵隊の方々も来られていた様です。(笑)
宝塚は阪急の一三さんと平塚さん抜きにしては語れないかと思います。

中州から南口に向かう道で暑い夏場に幼い子供の頃に大きなステンドグラスのある大きな洋館から出て来られた小柄な高齢の方でパナマ帽子 麻の上下 ネクタイをされ ステッキを持たれた紳士の方によく会いました。
ランニングシャツを着た小さな子供の私が頭を下げて挨拶をすると ちゃんと挨拶を返す紳士の老人が居られていました。

古き良き時代の宝塚の風景です。

武庫川の西側の川岸から幼稚園の頃だったか東側の川原を見ていると2トントラックがパトカーに追われ川下側に向けて逃走しているのを眺めていました。
後に親に聞けば砂利泥棒との話でした。(笑)

今の宝塚市役所の前に今の役所前の道を逆瀬川の駅に伊和志神社の前を通り行くと右側に市役所 道の反対側に逆瀬川の公設市場と映画館があり 公設市場の前には派出所があり少し行くと田んぼが広がっていましたね。

逆瀬川の川上側に大月レコード屋さんがあり 左側に大和のグランドがあり入口手前に大きな溜め池が有ったのを記憶しています。
大月レコード屋さんの左側の道を行くと住宅地になり大きな松の木がたくさん有ったのも記憶しています。

古き良き時代の宝塚は残念ですが再生は難しいかと思いますね。

連投ばかり失礼しました。

現在の宝塚を住民の目で見てると、宝塚はどこへ向かってるのか?不安になりますね。
古き良き時代の宝塚を知っておられる方からすると、壊れていく宝塚は歯がゆいのではないでしょうかね。
やはりこのままではいけないという思いを持たなければいけませんね。
いろいろご教示いただきありがとうございます。

長岡さま

年寄りの嘆きを載せて聞いて頂き ありがとうございました。
宝塚は宝塚です。
また他の所も同様ですね。
地域の事や日常の生活の事を周りに振り回されずにシッカリと地に足を踏ん張って色々と見つめて欲しいですね。

地方自治体だけでなく日本の国の事も同じですね。

今の会社組織の事は判りませんが 昔は会社の組織を考え存続を維持して成長を考えるのと同じ考え方と思います。

長岡さまの発展と繁栄を御祈り致します。

ありがとうございました。m(__)m

追記
昔々は宝塚市内の色々な情報を聞いておりましたが 最近はマトモな情報を伝える方々が居なくなったのも問題なんでしょうね。

では おやすみなさい m(__)m

長岡さま

ニュースに宝塚ホテルが歌劇の方に移設との話ですね。
宝塚の南口駅の周辺は高層ビル群になるのでしょうね。
南口の周辺の価値が下がるのが残念です。

宝塚の山間に静かに自噴する温泉で。昔は塩壺温泉で 親しまれていたそうですが今はなく、源泉井戸?だけが残されてるという話なのですが、この源泉を探してます。
宝塚に長い間お住まいだと書いておられたのでもしご存じでしたら教えて欲しいのです。
突然のコメント、すみませんm(__)m
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5106/hp150.html

彦左衛門さま
宝塚ホテルの移転は残念なニュースですね。
南口周辺は昭和50年代にマンションと商業施設を第3セクターで開発してたのを、数年前に更にマンション建て替え工事で高層マンションに模様替えしましたね。
それでも宝塚で買い物をしたり食事をするいいところが無いんですよね。
どんどん壊れていく宝塚が残念です。

おもろい温泉ええ温泉さま
宝塚の山の中に自噴してる温泉があるんですか?
僕はちょっと聞いたことが無いので、この情報を頭の片隅に置いておきます。
なにかつかんだら必ず記事にいたします。
情報ありがとうございました。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5106/hp150.html
↑こちらが参考資料です。
宜しくお願い致しますm(__)m

長岡さま
宝塚市の行政を市民の手に取りも出さなければ益々 劣化が酷くなるでしょうね。

訂正

長岡さまへ

文字変換を誤り意味不明の内容になり失礼しました。
正解
振り返って見つめ直すと宝塚市の本当の行政を本当の市民の手に取り返さないと益々と劣化するでしょうね
誰が本当の宝塚市民なのか?
目を醒ますことが必要ですね。

おもろい温泉ええ温泉さま
画像見ると山の中のただの井戸みたいですね。けど画像があるということは数年前には存在してたのかな?
気にかけておきます。情報ありがとうございました。

彦左衛門さま
現役の宝塚市民として、しっかり受け止めます。
ここ10数年で確実に後退してるように見えますね。
危機感を持って行動していきたいと思います。
しかし議会もちょっとずついい方向に向かう兆しも見えてきているようなので、これからが勝負ですね。
歌劇だけのまちから、歌劇もある街に変わらないといけませんね。

こんにちは

宝塚市民としてシッカリと足を地に着けて振り回されずに 過去からの動きを冷静に見つめ直して見れば自ずとして判ります。
巧妙に仕組まれた来た事に…

宝塚市民としてシッカリと宝塚市民のより良い生活の為にも頑張って欲しいですね。

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