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2013年7月31日 (水)

【宝塚】たからづか歴史散歩:ガイドマップ②

たからづか歴史散歩:ガイドマップ②

たからづか歴史散歩① 
たからづか歴史散歩③
たからづか歴史散歩④
たからづか歴史散歩、街道・道標
 
もどうぞ

改訂版 が出てます。変更箇所はこちらを見てください。

これはガイドマップの地図を頼りに自転車で周ってるんですが、ガイドマップの地図だけでは微妙な正確な位置がわからない場合があります。
というのも、神社やお寺は目標が大きいし地図にも載ってる可能性がありますが、道標や石碑のような小さい目的物はガイドマップの地図ではどこかわからないです。
縮尺の大きい地図を用意してる方がいですね。
まぁ迷いながら勘でいくのもいいですがね!

歴史散歩マップ にポイントを落としましたこちら からどうぞ。
道標・街道マップも作りました。
マップの街道筋は、今も道路が残ってるところもありますが、道筋が変っていたり道が無い部分等は想像で線をひいてる部分もありますので、参考までにしていただければと思います。

②ではガイドマップの19~40までを紹介していきましょう。
清荒神から中山、山本方面です。

19・清荒神清澄寺【E-3】
宇多天皇より「日本第一清荒神」という称号を与えられ、現在も「かまどの神様」として篤い信仰を集めています。本尊の大日如来坐像は国の重要文化財。阪急の清荒神駅から続く参道の両側には様々な店が並び独特の雰囲気を作っています。

やっとゆっくり見てきました。
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駅から山側の商店街を抜けて巡礼街道に出ると参道に続く鳥居があります。道標もここにあります。

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お土産物屋さんが続く参道を20分くらい登ると山門が出てきます。
山門なので清澄寺の入り口ということですかね。
山門をくぐりちょっと進んで左に行くゆるい坂を上ると清荒神です。

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清荒神さんの鳥居。
神社にお参りして山際の順路に従っていくと清澄寺の方に出ます。

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こちらは清澄寺。ちょうど春の大祭の法要中で結構参拝の方が来られてました。

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 山門をくぐると正面が清澄寺。ここを左で清荒神。

20・鉄斎美術館【E-3】
幕末から大正期にかけて活躍した南画家の富岡鉄斎と当時の清澄寺の坂本光浄法主との間には親交があり、お寺の所蔵する鉄斎のコレクションは一千点に及びます。これらの作品は海外でも展示され、高い評価を受けています。
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清澄寺の階段を下りて水かけ地蔵さんの横をUターンするように道を進むと鉄斎美術館の方へ行きます。
絵のことはまったく解らないのですが、明治期の近代美術の作品がこうしてたくさん保存されているのはいいことですね。
山水画というのかな。中国古典のことばが書かれてあり、それをイメージした絵を描いてある。
この奥の方へは初めて行きました。先に滝があるのを初めて知った。

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龍王滝。 

 21・旧清遺跡【E-3】
清荒神清澄寺の旧寺地だと考えられる遺跡です。清澄寺は平安時代後期にこの場所に造られましたが、たび重なる戦乱等により火災にあい、江戸時代の初め頃に今の場所に移ったと思われます。現在、金堂跡が宝塚市指定史跡として公園内に残されています。
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売布きよしガ丘10のきよしガ丘中央公園がその場所です。
山の上の住宅街なんで友達でもいない限りこんなとこ用事ないですね。初めて足を踏み入れました。橋本関雪邸の横の道を中国自動車道沿いに登り、自動車道の上を渡る橋で東側に行き、道なりにバス道を上っていくと標識がありました。
公園は自転車乗入禁止でしたすみません。ここまで足つきなしで登れましたよ。

22・売布神社【F-4】
「延喜式」記載の神社で食物と衣服の神様をおまつりしています。江戸時代には貴船大明神と呼ばれていましたが、大岡忠相の命を受けた並河誠所という人が調査し「売布神社であることを確認しました。本殿前の石碑はその時に建てられたものです。
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売布神社も今回初めて訪れました。駅のすぐ上の大きな森がそれだろうとずっと思ってたんですが、まさかの間違い!そこは修道院でした!
これで売布神社を探すのに迷うことに・・・森沿いの道を上がったところにありました。
駅から上がってきたところの修道院の角の所に道標と看板が出てました。
この道標はガイドマップでは紹介されてないんですよね。このガイドマップ巡りを始めてから、やたらと道標や石碑が気になりまして!これまた自転車でゆっくり走ってると良く見つけるのですよ。

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で、見つけた!と思ってガイドマップを見たら紹介されてない・・・まぁ全部が全部古くて意味のある道標ばかりではないんでしょうね。それにガイドマップに紹介できるスペースも限られてますしね。こちらは「宝塚の道標」の方で紹介してます。

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本殿前の石碑。結構広い神社でした。

23・旧橋本関雪邸【E-4】
橋本関雪は明治時代に活躍した日本画家で、本宅は京都にあり、ここは別邸になります。「冬華(瓜)庵」とうかあん、とも呼ばれ、廻遊式の庭園に石仏や塔などたくさんの文化的遺産が残っていますが、阪神・淡路大震災により大きな被害を受けました(非公開)。
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現在民間企業の所有ということで非公開になってます。この画像は中国道沿いにちょっと登った道から中の三重塔らしきものが見えたので撮りました。解りにくいですが木々の間にちょっと見えます。売布3丁目20。巡礼街道沿い。京都の本宅は銀閣寺そばの橋本関雪記念館だと思います。

24・ピピアめふ【F-4】
ショッピングゾーンと住宅、シネマや和風ホールなどを併設する施設で、平成11年10月に完成。「ピピア」という名前には「ピースフル」「ユートピア」の意味が込められており、3000以上の候補の中から選ばれました。
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なぜか普通の商業施設も紹介されてる。ここはミニシアターがあるので以前ちょこちょこ来てたな。どこもそうですが、ここ売布の駅前も昔の面影はないですね。高校の時コープめふでバイトしてたので毎日来てたけど、20数年前の景色を思いだせないです!
そうそうここピピア売布には宝塚市の支所がある。住民票等ここでも取れることを知っていれば便利です。

25・中山荘園古墳【F-3】
八角形を意識して造られた非常に珍しい形の古墳で、国の史跡に指定されています。八角形の古墳は奈良の飛鳥など天皇陵と考えられるものにはありますが、この地域になぜこのような形をした古墳が造られたのかはよくわかっていません。
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古墳を横から見たところです。ちょっと解りにくいですが、上から見た形が八角形という非常に珍しい古墳です。八角形墳は古墳時代の終末期になると思います。道教の思想の影響でしょうか。八角形はほんとに限られた天皇家だけのお墓の形なのでなぜここにあるのか不思議ですね。
追記:道教と書いたけどどちらかといえば仏教の影響か?まだまだ勉強不足。

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古墳の羨道入り口。手前に柵があるのでこれ以上近寄れません。
場所は非常に分かりにくいところにあります。住所は中山荘園になるんでしょうが売布4丁目との境、ライオンズ宝塚売布の入り口横です。

26・市杵島姫神社【F-3】
もともとは中山寺の境内にありましたが、明治初期の神仏分離により現在の場所に移りました。祭神は宮島の厳島神社と同じ市杵島姫で、商売、芸能の神として信仰されており、弁財天信仰とも結びついています。
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明治の神仏分離、廃仏毀釈は勉強不足でわからないですが、これによってなくなったお寺や神社がたくさんあったのでしょうね。
場所は中山寺2、中山寺の山門を西に行くと道が二股に分かれます、左が巡礼街道ですが、市杵島姫神社は右側へいってすぐです。こじんまりとした神社です。今ふと思った、この山際になぜ海の神様があるのか?

27・中山寺【F-3】
聖徳太子が開いたと伝えられ、安産信仰や西国三十三カ所24番札所として有名です。もともとは奥の院付近の山中にあったのですが、戦乱により焼失し、現在の大門や本堂は豊臣秀頼によって再建されたものです。本尊の十一面観音立像(国・重要文化財)をはじめ多くの文化財があります。
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中山寺山門
場所はおわかりですね。

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中山寺本堂
本尊の十一面観音立像は見れないのかな?

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再建中の五重塔。2018年にはできてるかな。

28・中山梅林公園【F-3】
中山寺本堂の裏手に豊後・摩耶などの白梅、紅梅あわせて1000本が植えられた梅林があります。2月下旬から咲き始める梅の花は、宝塚に春を運んできます。

やっと行ってまいりました。
5分咲きくらいでしたがかなりの本数があるのは分っていただけるでしょうか。

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画像に写ってない部分にも梅林は広がってるので、結構な広さがありますね。
先日道標探しで梅も無いのに梅林を歩きました。梅林の中には遊歩道が整備されてますが、奥の方まで行くと結構な距離になりますね。
6月~7月あたりで梅の実をつけるために閉鎖されてる期間があります。まぁ梅の期間以外にはいかないでしょうから大丈夫か。
 

29・白鳥塚古墳【F-3】
中山寺の境内にある大きな横穴式石室を持った古墳です。大仲姫(仲哀天皇の先皇后)の墓とも伝えられていますが、7世紀の初め頃に造られたこの地方の豪族の墓だと考えられます。石室内には家形石棺が残っています。
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中山寺の境内にあります。本堂の西側です。初詣などで何度も見てましたが、いままで山の斜面に掘ってあると思ってましたが高台のちょっとした平地に塚のように盛り上げてるのかな?ここの案内板には中山寺古墳となってます。ぼくもそちらの名前で覚えてましたがいっしょの古墳ですね。

30・中山寺奥の院【E-1】
中山寺から18丁に旧寺跡があったとされています。付近に瓦片が散乱する場所もあり、奥の院には大悲水と白鳥の窟などの仲哀天皇の皇子にまつわる伝承も残っています。この大悲水は厄よけの水として多くの人々の信仰を集めています。
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奥の院は建て替え中ですか?先日この史跡巡りをする前にハイキングで行ってきました。中山寺から小一時間かかります。完全に登山道です。ハイヒール不可!きつい道ですが小学生以上なら登れるでしょう。途中大阪平野が一望できる絶景スポットもあります。

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久しぶりにまた登りました。
去年は膝が痛くなったのですが、毎日のストレッチのおかげでひざ痛は出なくなりました。

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奥の院の建て替えが終わってました。
膝はストレッチを毎日したおかげか軽い山登りでは痛みは出なくなった。
 

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このような道標が奥の院まであります。

31・中筋山手古墳群【F-2】
中筋山手古墳群は長尾山丘陵に造られた群集墳のうち、西端に位置するもので、1号墳は公園の中に保存されています。径15mほどの円墳で横穴式石室を持つ6世紀末頃に造られたものです。
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阪急中山駅の東側の道を中山桜台方面に登っていくとあります。中筋山手2の西林公園がそれです。遊歩道もつけられた整備された公園でした。しかし道路からは古墳は見えないのでここに古墳があることは知らない人も多いでしょうね、僕も知らなかったです。
石室入り口に説明看板がありますが、「中筋山手古墳群は天神川”左岸”に」となってますが、右岸の間違いです。先生に確認済み。

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公園を下側から見たところ。

中筋山手古墳群1号墳から巡礼街道に戻って東に進みます。1号墳の説明板を見て2号墳を探すことに!

ここまでは良かったが以前の僕の文章は間違いだった!訂正します。

中筋山手古墳群2号墳は中筋山手4丁目公園の横にあります。

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2号墳石室。

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2号墳の説明板。

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なぜ2号墳が分かったかというと、この画像の場所、有高稲荷神社の東側と中筋山手4丁目公園の間の土地が住宅地として開発される計画がすすめられ、既存古墳が消滅するかもという話を聞き確認に言ったからです。僕が勘違いしてたわけですが有高稲荷神社は周りの景観は変わるでしょうが一応そのまま残るでしょう。消滅の危機にある古墳は上の画像では映ってませんがこの住宅予定地内にある市の指定を受けてない古墳のようです。業者の計画では「古墳は移設」となってますがどうなるでしょう?

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巡礼街道を山本の方へ行くと住宅地の間に有高稲荷神社の鳥居の並びが現れます。ここを登っていく。

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想像以上に登ります。登りきった所に石の祠があり、その後ろに謎の巨石が!
どう見ても古墳ですね。古墳のあった所に神社やお寺が建てられるというのは結構多い事例なのでもしやと思っていったら正解でした。

有高稲荷神社の後ろの巨石を2号墳だと勘違いしていたわけですが、ここも古墳だと先生もおっしゃっていたと思います。

32・しだれ桜【G-3】
この桜は「ヤエベニシダレ(八重紅枝垂)」という品種で、別名エンドウ桜ともいわれるものです。通常のしだれ桜より花弁数が多く、花の咲く4月にはライトアップされ、優雅な姿を見ることができます。
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桜の時期じゃないので緑ですが・・・
たぶん地図ではここだと思うのですが、ガイドブックの桜の写真とは木の高さが違う?なんかの理由で切ったのかな?桜の季節に写真を撮りに行きましょう~。中筋山手4丁目。中山五月台に上がっていく道沿いです。巡礼街道との交差点、道標10もあります。

やっと桜の季節になりました。まだしだれ桜の方はつぼみもありますが、写真を撮ってきましたよ。

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画像でわかると思いますが、桜の木の途中で伐採された跡があります。
残念ですがかなり太い幹を切ってるようで、ガイドマップのしだれ桜のイメージと違うのではないかと思われます。かつての姿は見たことがないのですが、やはりちょっと桜の勢いというのはちょっと弱い感じがしました。

33・中筋八幡神社【G-3】
室町時代に建てられたと考えられる檜皮葺の本殿(国指定重要文化財)は、阪神・淡路大震災の時に覆屋とともに倒壊しましたが、部材のほとんどが残っていたことから修復され、平成8年に元の姿に戻りました。
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八幡神社は旧176号線沿いなのでわかりやすいです。中筋2丁目交差点。

34・八王子神社【G-4】
阪神淡路大震災で拝殿などが被害を受けましたが、平成14年に再建されました。境内には正応三年(1290)の年号の入った板碑があります。これは親の供養のために子供たちが立てたもので、年号の入っている石造美術品では市内最古のものです。
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八王子神社は車の通りからちょっと入ったところにあります。というよりもあとからできた車道が勝手にはずれを通ってるんですけどね。どうしても史跡等は旧道にあるので車ではふだん通らないところにあります。中筋6丁目、八幡神社の真南にあたります。

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正応三年銘、板碑。

35・天満神社【G-3】
巡礼街道沿いにある菅原道真を祭神とする神社です。いつ頃創建されたのかはわかりませんが、現在の本殿は江戸時代前期のもので春日造の杮葺です。向拝の木鼻は左右をア・ウンの唐獅子に彫っためずらしいものです。
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山本西1。しだれ桜から巡礼街道を東にすぐ。ちょうどちの輪?くぐりがあった。

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これは天満神社の向かい側にある標識です。巡礼街道沿いを行けば、ところどころこのような案内板が置いてあります。現代の道標といったところか。

36・行基の投げ石【G-3】
天満神社の東の黒光稲荷大明神のほこらのそばにあります。「行基が街道にあった邪魔な岩を投げ飛ばしたもの」とか「天狗が六甲山から投げたもの」とかいわれていますが、付近にあった古墳の天井石の一つかもしれません。
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古墳の天井石説が妥当か。天満神社のすぐ東、稲荷大明神の赤鳥居を入ったところ。

37・園芸流通センター【H-3】
千年の歴史を持ち、日本三大植木産地の一つとして知られる山本の中心的施設です。この地域には多くの植木業者が集中しており、植木、盆栽、観葉植物などを育成しています。また、山本は平安時代に坂上武士団の領地で弓道が盛んであったといわれ、このセンターでは弓道大会も行われています。
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山本中1。旧176の山本中2の交差点を北に上がって線路を越えたところ。画像は園芸センターの北側にある陽春園。一般の人はこちらに行って花とかを買ってるのかな。ガイドマップの画像はこの向かいのただの広場ですね。

38・松尾神社【H-3】
安和年間(968~970)に坂上田村麻呂を祭神として創建されたと伝えられています。田村麻呂は幼名を松尾丸と称したことから「松尾丸社」とも呼ばれました。現在の本殿は江戸時代前期のもので宝塚指定の文化財です。
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園芸センターの南側を走る巡礼街道を東に行くと松尾橋があり、そこを北に上がると松尾神社が現れる。長尾小学校のすぐ南。

39・あいあいパーク【H-3】
山本の植木産業の活性化の拠点施設として平成12年4月にオープン。17世紀のイギリスの地方都市のたたずまいを再現しており、花や植木の苗やガーデニンググッズの販売、各種園芸教室や緑の相談などを行っています。
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旧176沿いの山本付近にあるのですぐわかります。以前はため池だったところを埋め立てて造ったのかな?これは市の施設か3セクか?植木屋の団体の施設か?
先日初めて入ってみた。花木や園芸用品はもちろんレストランもありますね。
そして宝塚市の支所もあった。いがいと賑ってた。

40・木接大夫彰徳碑【H-3】
坂上善大夫頼泰は天正・文禄の頃の人で、山本を本拠として接ぎ木の技術を発明しました。豊臣秀吉はこの技術をたたえ、頼泰に「木接大夫」の称号を与えたといいます。このような由来から山本園芸のシンボルとして大正時代にこの彰徳碑が建てられました。
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山本駅の北側の巡礼街道をちょっとだけ中山方面に行ったところ。でかいからすぐわかる。
一番手前に道標がある。

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