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2013年7月

2013年7月31日 (水)

【宝塚】たからづか歴史散歩:ガイドマップ②

たからづか歴史散歩:ガイドマップ②

たからづか歴史散歩① 
たからづか歴史散歩③
たからづか歴史散歩④
たからづか歴史散歩、街道・道標
 
もどうぞ

改訂版 が出てます。変更箇所はこちらを見てください。

これはガイドマップの地図を頼りに自転車で周ってるんですが、ガイドマップの地図だけでは微妙な正確な位置がわからない場合があります。
というのも、神社やお寺は目標が大きいし地図にも載ってる可能性がありますが、道標や石碑のような小さい目的物はガイドマップの地図ではどこかわからないです。
縮尺の大きい地図を用意してる方がいですね。
まぁ迷いながら勘でいくのもいいですがね!

歴史散歩マップ にポイントを落としましたこちら からどうぞ。
道標・街道マップも作りました。
マップの街道筋は、今も道路が残ってるところもありますが、道筋が変っていたり道が無い部分等は想像で線をひいてる部分もありますので、参考までにしていただければと思います。

②ではガイドマップの19~40までを紹介していきましょう。
清荒神から中山、山本方面です。

19・清荒神清澄寺【E-3】
宇多天皇より「日本第一清荒神」という称号を与えられ、現在も「かまどの神様」として篤い信仰を集めています。本尊の大日如来坐像は国の重要文化財。阪急の清荒神駅から続く参道の両側には様々な店が並び独特の雰囲気を作っています。

やっとゆっくり見てきました。
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駅から山側の商店街を抜けて巡礼街道に出ると参道に続く鳥居があります。道標もここにあります。

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お土産物屋さんが続く参道を20分くらい登ると山門が出てきます。
山門なので清澄寺の入り口ということですかね。
山門をくぐりちょっと進んで左に行くゆるい坂を上ると清荒神です。

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清荒神さんの鳥居。
神社にお参りして山際の順路に従っていくと清澄寺の方に出ます。

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こちらは清澄寺。ちょうど春の大祭の法要中で結構参拝の方が来られてました。

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 山門をくぐると正面が清澄寺。ここを左で清荒神。

20・鉄斎美術館【E-3】
幕末から大正期にかけて活躍した南画家の富岡鉄斎と当時の清澄寺の坂本光浄法主との間には親交があり、お寺の所蔵する鉄斎のコレクションは一千点に及びます。これらの作品は海外でも展示され、高い評価を受けています。
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清澄寺の階段を下りて水かけ地蔵さんの横をUターンするように道を進むと鉄斎美術館の方へ行きます。
絵のことはまったく解らないのですが、明治期の近代美術の作品がこうしてたくさん保存されているのはいいことですね。
山水画というのかな。中国古典のことばが書かれてあり、それをイメージした絵を描いてある。
この奥の方へは初めて行きました。先に滝があるのを初めて知った。

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龍王滝。 

 21・旧清遺跡【E-3】
清荒神清澄寺の旧寺地だと考えられる遺跡です。清澄寺は平安時代後期にこの場所に造られましたが、たび重なる戦乱等により火災にあい、江戸時代の初め頃に今の場所に移ったと思われます。現在、金堂跡が宝塚市指定史跡として公園内に残されています。
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売布きよしガ丘10のきよしガ丘中央公園がその場所です。
山の上の住宅街なんで友達でもいない限りこんなとこ用事ないですね。初めて足を踏み入れました。橋本関雪邸の横の道を中国自動車道沿いに登り、自動車道の上を渡る橋で東側に行き、道なりにバス道を上っていくと標識がありました。
公園は自転車乗入禁止でしたすみません。ここまで足つきなしで登れましたよ。

22・売布神社【F-4】
「延喜式」記載の神社で食物と衣服の神様をおまつりしています。江戸時代には貴船大明神と呼ばれていましたが、大岡忠相の命を受けた並河誠所という人が調査し「売布神社であることを確認しました。本殿前の石碑はその時に建てられたものです。
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売布神社も今回初めて訪れました。駅のすぐ上の大きな森がそれだろうとずっと思ってたんですが、まさかの間違い!そこは修道院でした!
これで売布神社を探すのに迷うことに・・・森沿いの道を上がったところにありました。
駅から上がってきたところの修道院の角の所に道標と看板が出てました。
この道標はガイドマップでは紹介されてないんですよね。このガイドマップ巡りを始めてから、やたらと道標や石碑が気になりまして!これまた自転車でゆっくり走ってると良く見つけるのですよ。

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で、見つけた!と思ってガイドマップを見たら紹介されてない・・・まぁ全部が全部古くて意味のある道標ばかりではないんでしょうね。それにガイドマップに紹介できるスペースも限られてますしね。こちらは「宝塚の道標」の方で紹介してます。

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本殿前の石碑。結構広い神社でした。

23・旧橋本関雪邸【E-4】
橋本関雪は明治時代に活躍した日本画家で、本宅は京都にあり、ここは別邸になります。「冬華(瓜)庵」とうかあん、とも呼ばれ、廻遊式の庭園に石仏や塔などたくさんの文化的遺産が残っていますが、阪神・淡路大震災により大きな被害を受けました(非公開)。
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現在民間企業の所有ということで非公開になってます。この画像は中国道沿いにちょっと登った道から中の三重塔らしきものが見えたので撮りました。解りにくいですが木々の間にちょっと見えます。売布3丁目20。巡礼街道沿い。京都の本宅は銀閣寺そばの橋本関雪記念館だと思います。

24・ピピアめふ【F-4】
ショッピングゾーンと住宅、シネマや和風ホールなどを併設する施設で、平成11年10月に完成。「ピピア」という名前には「ピースフル」「ユートピア」の意味が込められており、3000以上の候補の中から選ばれました。
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なぜか普通の商業施設も紹介されてる。ここはミニシアターがあるので以前ちょこちょこ来てたな。どこもそうですが、ここ売布の駅前も昔の面影はないですね。高校の時コープめふでバイトしてたので毎日来てたけど、20数年前の景色を思いだせないです!
そうそうここピピア売布には宝塚市の支所がある。住民票等ここでも取れることを知っていれば便利です。

25・中山荘園古墳【F-3】
八角形を意識して造られた非常に珍しい形の古墳で、国の史跡に指定されています。八角形の古墳は奈良の飛鳥など天皇陵と考えられるものにはありますが、この地域になぜこのような形をした古墳が造られたのかはよくわかっていません。
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古墳を横から見たところです。ちょっと解りにくいですが、上から見た形が八角形という非常に珍しい古墳です。八角形墳は古墳時代の終末期になると思います。道教の思想の影響でしょうか。八角形はほんとに限られた天皇家だけのお墓の形なのでなぜここにあるのか不思議ですね。
追記:道教と書いたけどどちらかといえば仏教の影響か?まだまだ勉強不足。

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古墳の羨道入り口。手前に柵があるのでこれ以上近寄れません。
場所は非常に分かりにくいところにあります。住所は中山荘園になるんでしょうが売布4丁目との境、ライオンズ宝塚売布の入り口横です。

26・市杵島姫神社【F-3】
もともとは中山寺の境内にありましたが、明治初期の神仏分離により現在の場所に移りました。祭神は宮島の厳島神社と同じ市杵島姫で、商売、芸能の神として信仰されており、弁財天信仰とも結びついています。
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明治の神仏分離、廃仏毀釈は勉強不足でわからないですが、これによってなくなったお寺や神社がたくさんあったのでしょうね。
場所は中山寺2、中山寺の山門を西に行くと道が二股に分かれます、左が巡礼街道ですが、市杵島姫神社は右側へいってすぐです。こじんまりとした神社です。今ふと思った、この山際になぜ海の神様があるのか?

27・中山寺【F-3】
聖徳太子が開いたと伝えられ、安産信仰や西国三十三カ所24番札所として有名です。もともとは奥の院付近の山中にあったのですが、戦乱により焼失し、現在の大門や本堂は豊臣秀頼によって再建されたものです。本尊の十一面観音立像(国・重要文化財)をはじめ多くの文化財があります。
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中山寺山門
場所はおわかりですね。

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中山寺本堂
本尊の十一面観音立像は見れないのかな?

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再建中の五重塔。2018年にはできてるかな。

28・中山梅林公園【F-3】
中山寺本堂の裏手に豊後・摩耶などの白梅、紅梅あわせて1000本が植えられた梅林があります。2月下旬から咲き始める梅の花は、宝塚に春を運んできます。

やっと行ってまいりました。
5分咲きくらいでしたがかなりの本数があるのは分っていただけるでしょうか。

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画像に写ってない部分にも梅林は広がってるので、結構な広さがありますね。
先日道標探しで梅も無いのに梅林を歩きました。梅林の中には遊歩道が整備されてますが、奥の方まで行くと結構な距離になりますね。
6月~7月あたりで梅の実をつけるために閉鎖されてる期間があります。まぁ梅の期間以外にはいかないでしょうから大丈夫か。
 

29・白鳥塚古墳【F-3】
中山寺の境内にある大きな横穴式石室を持った古墳です。大仲姫(仲哀天皇の先皇后)の墓とも伝えられていますが、7世紀の初め頃に造られたこの地方の豪族の墓だと考えられます。石室内には家形石棺が残っています。
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中山寺の境内にあります。本堂の西側です。初詣などで何度も見てましたが、いままで山の斜面に掘ってあると思ってましたが高台のちょっとした平地に塚のように盛り上げてるのかな?ここの案内板には中山寺古墳となってます。ぼくもそちらの名前で覚えてましたがいっしょの古墳ですね。

30・中山寺奥の院【E-1】
中山寺から18丁に旧寺跡があったとされています。付近に瓦片が散乱する場所もあり、奥の院には大悲水と白鳥の窟などの仲哀天皇の皇子にまつわる伝承も残っています。この大悲水は厄よけの水として多くの人々の信仰を集めています。
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奥の院は建て替え中ですか?先日この史跡巡りをする前にハイキングで行ってきました。中山寺から小一時間かかります。完全に登山道です。ハイヒール不可!きつい道ですが小学生以上なら登れるでしょう。途中大阪平野が一望できる絶景スポットもあります。

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久しぶりにまた登りました。
去年は膝が痛くなったのですが、毎日のストレッチのおかげでひざ痛は出なくなりました。

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奥の院の建て替えが終わってました。
膝はストレッチを毎日したおかげか軽い山登りでは痛みは出なくなった。
 

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このような道標が奥の院まであります。

31・中筋山手古墳群【F-2】
中筋山手古墳群は長尾山丘陵に造られた群集墳のうち、西端に位置するもので、1号墳は公園の中に保存されています。径15mほどの円墳で横穴式石室を持つ6世紀末頃に造られたものです。
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阪急中山駅の東側の道を中山桜台方面に登っていくとあります。中筋山手2の西林公園がそれです。遊歩道もつけられた整備された公園でした。しかし道路からは古墳は見えないのでここに古墳があることは知らない人も多いでしょうね、僕も知らなかったです。
石室入り口に説明看板がありますが、「中筋山手古墳群は天神川”左岸”に」となってますが、右岸の間違いです。先生に確認済み。

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公園を下側から見たところ。

中筋山手古墳群1号墳から巡礼街道に戻って東に進みます。1号墳の説明板を見て2号墳を探すことに!

ここまでは良かったが以前の僕の文章は間違いだった!訂正します。

中筋山手古墳群2号墳は中筋山手4丁目公園の横にあります。

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2号墳石室。

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2号墳の説明板。

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なぜ2号墳が分かったかというと、この画像の場所、有高稲荷神社の東側と中筋山手4丁目公園の間の土地が住宅地として開発される計画がすすめられ、既存古墳が消滅するかもという話を聞き確認に言ったからです。僕が勘違いしてたわけですが有高稲荷神社は周りの景観は変わるでしょうが一応そのまま残るでしょう。消滅の危機にある古墳は上の画像では映ってませんがこの住宅予定地内にある市の指定を受けてない古墳のようです。業者の計画では「古墳は移設」となってますがどうなるでしょう?

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巡礼街道を山本の方へ行くと住宅地の間に有高稲荷神社の鳥居の並びが現れます。ここを登っていく。

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想像以上に登ります。登りきった所に石の祠があり、その後ろに謎の巨石が!
どう見ても古墳ですね。古墳のあった所に神社やお寺が建てられるというのは結構多い事例なのでもしやと思っていったら正解でした。

有高稲荷神社の後ろの巨石を2号墳だと勘違いしていたわけですが、ここも古墳だと先生もおっしゃっていたと思います。

32・しだれ桜【G-3】
この桜は「ヤエベニシダレ(八重紅枝垂)」という品種で、別名エンドウ桜ともいわれるものです。通常のしだれ桜より花弁数が多く、花の咲く4月にはライトアップされ、優雅な姿を見ることができます。
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桜の時期じゃないので緑ですが・・・
たぶん地図ではここだと思うのですが、ガイドブックの桜の写真とは木の高さが違う?なんかの理由で切ったのかな?桜の季節に写真を撮りに行きましょう~。中筋山手4丁目。中山五月台に上がっていく道沿いです。巡礼街道との交差点、道標10もあります。

やっと桜の季節になりました。まだしだれ桜の方はつぼみもありますが、写真を撮ってきましたよ。

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画像でわかると思いますが、桜の木の途中で伐採された跡があります。
残念ですがかなり太い幹を切ってるようで、ガイドマップのしだれ桜のイメージと違うのではないかと思われます。かつての姿は見たことがないのですが、やはりちょっと桜の勢いというのはちょっと弱い感じがしました。

33・中筋八幡神社【G-3】
室町時代に建てられたと考えられる檜皮葺の本殿(国指定重要文化財)は、阪神・淡路大震災の時に覆屋とともに倒壊しましたが、部材のほとんどが残っていたことから修復され、平成8年に元の姿に戻りました。
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八幡神社は旧176号線沿いなのでわかりやすいです。中筋2丁目交差点。

34・八王子神社【G-4】
阪神淡路大震災で拝殿などが被害を受けましたが、平成14年に再建されました。境内には正応三年(1290)の年号の入った板碑があります。これは親の供養のために子供たちが立てたもので、年号の入っている石造美術品では市内最古のものです。
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八王子神社は車の通りからちょっと入ったところにあります。というよりもあとからできた車道が勝手にはずれを通ってるんですけどね。どうしても史跡等は旧道にあるので車ではふだん通らないところにあります。中筋6丁目、八幡神社の真南にあたります。

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正応三年銘、板碑。

35・天満神社【G-3】
巡礼街道沿いにある菅原道真を祭神とする神社です。いつ頃創建されたのかはわかりませんが、現在の本殿は江戸時代前期のもので春日造の杮葺です。向拝の木鼻は左右をア・ウンの唐獅子に彫っためずらしいものです。
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山本西1。しだれ桜から巡礼街道を東にすぐ。ちょうどちの輪?くぐりがあった。

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これは天満神社の向かい側にある標識です。巡礼街道沿いを行けば、ところどころこのような案内板が置いてあります。現代の道標といったところか。

36・行基の投げ石【G-3】
天満神社の東の黒光稲荷大明神のほこらのそばにあります。「行基が街道にあった邪魔な岩を投げ飛ばしたもの」とか「天狗が六甲山から投げたもの」とかいわれていますが、付近にあった古墳の天井石の一つかもしれません。
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古墳の天井石説が妥当か。天満神社のすぐ東、稲荷大明神の赤鳥居を入ったところ。

37・園芸流通センター【H-3】
千年の歴史を持ち、日本三大植木産地の一つとして知られる山本の中心的施設です。この地域には多くの植木業者が集中しており、植木、盆栽、観葉植物などを育成しています。また、山本は平安時代に坂上武士団の領地で弓道が盛んであったといわれ、このセンターでは弓道大会も行われています。
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山本中1。旧176の山本中2の交差点を北に上がって線路を越えたところ。画像は園芸センターの北側にある陽春園。一般の人はこちらに行って花とかを買ってるのかな。ガイドマップの画像はこの向かいのただの広場ですね。

38・松尾神社【H-3】
安和年間(968~970)に坂上田村麻呂を祭神として創建されたと伝えられています。田村麻呂は幼名を松尾丸と称したことから「松尾丸社」とも呼ばれました。現在の本殿は江戸時代前期のもので宝塚指定の文化財です。
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園芸センターの南側を走る巡礼街道を東に行くと松尾橋があり、そこを北に上がると松尾神社が現れる。長尾小学校のすぐ南。

39・あいあいパーク【H-3】
山本の植木産業の活性化の拠点施設として平成12年4月にオープン。17世紀のイギリスの地方都市のたたずまいを再現しており、花や植木の苗やガーデニンググッズの販売、各種園芸教室や緑の相談などを行っています。
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旧176沿いの山本付近にあるのですぐわかります。以前はため池だったところを埋め立てて造ったのかな?これは市の施設か3セクか?植木屋の団体の施設か?
先日初めて入ってみた。花木や園芸用品はもちろんレストランもありますね。
そして宝塚市の支所もあった。いがいと賑ってた。

40・木接大夫彰徳碑【H-3】
坂上善大夫頼泰は天正・文禄の頃の人で、山本を本拠として接ぎ木の技術を発明しました。豊臣秀吉はこの技術をたたえ、頼泰に「木接大夫」の称号を与えたといいます。このような由来から山本園芸のシンボルとして大正時代にこの彰徳碑が建てられました。
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山本駅の北側の巡礼街道をちょっとだけ中山方面に行ったところ。でかいからすぐわかる。
一番手前に道標がある。

2013年7月23日 (火)

畿内 古代遺跡ガイド

[畿内]古代遺跡ガイド:松本弥

これはまさに自分がやろうとしてたグーグルマップでの遺跡巡りをするということを、先にやられてしまってる本でした!一緒のようなこと考える人がいるんですね。

グーグルマップの航空写真では、かなりはっきり現地の画像が見れるし、ストリートビューにすればほんとに現地に立ってる景色が見れるからすごいです。

そして最近読んでる古代史本で遺跡を紹介されてる場合は、できるだけグーグルマップに場所をポイントするようにしてます。
特に”古墳”というマイマップを作って古墳を地図上に落としてみると、ほんとに地域的な密集度や、地域間の距離感なども視覚的に見れて面白いです。
それに今後現地に行きたいと思った時の参考資料として自分の手元に置いておけるのはいいですね。

この本ではグーグルマップを活用してあるので、パソコンを開きながら本の写真を画面で確認することができます。

しかしPCでグーグルにポイントを打つ作業がなかなかめんどくさい!回線が引っかかるのか?グーグルの操作系がうまくいかないのか、そもそもグーグルマップの使い方がわかりにくいので、本で紹介されてる遺跡をポイントするだけでも大変です。
この本と前の本で紹介されてたところも結局全部はできなかった・・・

大和・飛鳥考古学散歩

大和・飛鳥考古学散歩:伊達宗泰 千賀久 増補

まえに一度読んでるのですが、大和にはどのような遺跡があるのか、それをグーグルマップに落としてみる、ということもしたくてまた読んでみました。

発掘調査をされていた先生が古墳や遺跡などを地域を絞って、ほんとに散歩コースを想定して順番に遺跡を紹介されてます。

発掘調査が学術的なじっくりやる調査ばかりではなく、開発に伴い緊急に行われることのほうが多いというのがわかりますね。特に昭和の高度成長期に道路工事や住宅団地の建設等で急いでやる調査や、工事を進めてる時に突然遺跡が発見されということもあるのですね。
そして多くのそうした開発に伴う遺跡調査は埋め戻されて今では跡形もないという場合が多い。
そのようななくなった遺跡も先生自らが調査したところもあってその経緯なんかも書いてあり興味深いです。

そして遺跡散歩という形での紹介ですが、先生の思い入れのある遺跡についてはかなり詳しく紹介されてます。特に新沢千塚古墳は特殊な副葬品を出土された状況が生々しく、現場の興奮が伝わってくるようです。新沢千塚古墳は、そばの資料館で出土遺物は見学に行ったのだけれど、千塚古墳群を回る時間は無かったので今度はゆっくり千塚の丘を歩いてみたいです。

紹介されてる地域は、磐余の地域、山の辺道、馬見古墳群、二上山周辺、葛城・金剛山麓、生駒・平群の谷、斑鳩の里、宇陀の遺跡、大和高原の遺跡、宮滝遺跡、近内の丘陵から五条へ、飛鳥と藤原京、畝傍山周辺、巨勢路、奈良町と東山麓、平城宮・平城京跡周辺、とこんな感じです。
飛鳥周辺は僕も結構行ってるんですが、他は行ってないところが多いのでぜひとも一度は行きたいと思ってます。

2013年7月21日 (日)

【MOTO GP】第9戦 ラグナセカ

なんとポールはステファン・ブラドル。それまでのトップタイムだったマルケスは予選終了直前に6コーナーで転倒、最後のアタックはできないまま。
このままマルケスの最年少連続ポール記録塗り替えか!と思った直後にまさかのブラドルが逆転ポール!
ブラドルはこのところMOTO GPマシンを操れるようになってきた感じですね。
一つ気になるのがLCRホンダに乗るブラドルのマシンに使われてるブレーキシステムですね。
TTアッセンの時に辻本さんがブラドルがテストでよかったブレンボをアッセンでも使ってると言ってましたが、その後のドイツでも好調、今回のUSGPもポールと、凄く速いんですが、ブレーキはそのままブレンボなのかな?今日の予選を見てみた中継画像からはブラドルのマシンはブレンボのようだった。グレシーニのバウティスタのマシンはこれまで通りニッシンのキャリパーに見えたんでLCRはブレンボなのかな。
バウティスタはニッシン+ショウワを使うことを条件にホンダとの2年契約なんで、ブレンボとオーリンズは使えない、しかしブラドルはそこまでの縛りはないんでしょうね、ツナギとマシンにはニッシンのロゴが入ってますが・・・

けがをおして出場してるロレンゾとペドロサにはどうか無事完走してほしい、ほんとに転倒だけは見たくないです。
しかし今年のG+の座談会で解説陣が13年のチャンピオン予想で数人がマルケスの名前を挙げたのを見た時は、チャンピオンシップが盛り上がる期待感を込めたもので、半分冗談と思ってましたが、現在のランクトップ!20歳のマルケスがルーキーイヤーでチャンピオンになるのも全然夢物語じゃなくなってるから解説陣の予想もなかなか凄いですね。

先ほど某SNSでブラドルはニッシンだというご指摘をいただきました。
それでLCRとブラドルとグレシーニとバウティスタのツィッター、フェイスブックなどで画像を探してみたんですが、ブラドルのブレーキはドイツGP、アルゼンチン・テスト、ラグナセカともブレンボですね。どう見てもキャリパーの形がそうだし、キャリパーに赤いロゴが見える。
バウティスタのキャリパーはニッシンなんだけど、キャリパーの形が平らなんですよ、色もつや消しだし。
辻本さんの解説ではブラドルはアッセンでは確実にブレンボを使って結果を出したわけで、ライダーとしてはそのままブレンボ使うでしょ。ここでは、あの金ぴかで複雑な造形はブレンボキャリパーということにしときましょう。

決勝はブラドルが先行、ロッシ、バウティスタ、ロレンゾ、ペドロサと続いて行きます。
ブラドルはアッセンから自信を持って攻めてるように見えますね、やはりブレンボがいいのかな、ニッシンのバウティスタも今回は前のほうで頑張ります。
しかしスタートで出遅れたマルケスが一人、また一人とかわしていきロッシの後ろへ。
ロッシとのバトルはちょっと語り継がれるような抜き方でしたね。しかしマルケスの順応性の高さは凄すぎますね。
ここラグナセカだけは、ほんとに攻略が難しいとだれもが言ってるし実際初めての人はなかなかうまく走れないコースなのに、お構いなしですね。
名物コーナーで一番難しいとされてるコークスクリューでまずロッシのアウトにに並べて、次の降りながらの右をコースアウトしながら抜いていく・・・MOTO GPファンならいつか見た光景の再現ですね。かつてロッシが売り出し中のケーシーに一発かました抜き方を、そのロッシに対して新人のマルケスがやってしまうとは!ちょっとだけ前と違うのはコークスクリューのその部分は今回は土ではなくて汚いけどコンクリートがひかれてあったので昔よりかは安全に走行できそうに見えました。それでも見えないところ、普段走らないコースアウトの部分で勝負掛けるなんて尋常じゃないです。
その後はブラドルも料理して、最年少の連勝記録樹立ですか!今年のマルケスは何個最年少記録を塗り替えるのか?
ブラドルは初表彰台、これからもどんどん前の方でバトルしてほしい、ロッシはなんとか3番手、ペドロサとロレンゾはなんとか完走できてよかったですね。
ドゥカティの低迷はいつ抜けるのかな~

さぁ今回はやたらとブラドルのブレーキにこだわったわけですが、なぜかというと最近FBでブレンボのページを”いいね”しまして、ブレンボの記事を見るようになったからです。
そこでは4輪のF1と2輪のMOTO GPという最高峰クラスで勝利をするのはブレンボ!と高らかに言ってるからですよ。たしかにトップカテゴリーだけでなくあらゆるカテゴリーでブレンボのブレーキが活躍してますね。しかしブラドルのチームLCRは契約で日本のニッシン製ブレーキをつけていたのです、カタルニアまで・・・しかしテストでブレンボを使って感触が良かったブラドルはそのままブレンボの使用を希望、TTアッセンからブレンボを使うことになります。
今回気になったのでニッシンのHPを見たら、カタルニアでのブラドルの5位入賞を記事にしてたのですが、その後のブラドルの活躍は更新されず。当たり前ですね、ニッシン使ってないから。ニッシンを使ってのMOTO GPでのポールだったらそれだけでニュースになるはず、すくなくともニッシンは自慢したいはず、それをできないところを見てもLCRはブレンボの継続使用を決めたようですね。日本企業に頑張ってほしいけど、レーシングブレーキでのノウハウはまだまだブレンボには勝てないのかな。バウティスタに頑張ってもらいましょう。

2013年7月20日 (土)

【MOTO GP】第8戦 ドイツ

もうドイツGPが終わって数日・・・ラグナセカも始まるころですが、一応振り返っておきましょう。

前戦のTTアッセンでは骨折から2日で復帰して5位に入賞したロレンゾ、もちろんドイツも出場です。
FP1ではトップタイム!すごいな~と思ってたらFP2でまさかの転倒!!!しかも左肩から着地!これ一番ロレンゾが冒してはいけないこけ方ですね。僕は医者じゃないし骨折の経験もないからわからないけど、プレートでつないだ鎖骨をもう一回折ったら前よりひどくなることぐらいすぐに想像できますね、これでアッセンでの努力が帳消しになったなと思いました。
そしたらライバルのペドロサがこれまた転倒!こちらは骨折ではなかったみたいだけど大事を取って欠場を決めます。ペドロサはチャンピオンシップでロレンゾを引き離すチャンスで先週に引き続きついてないですね。ロレンゾ陣営は助かりましたが。

さあこうなるともうマルケスが一人逃げしそうな予感・・・
決勝スタート直後は地元のブラドルが頑張ってリーダーで走りますが徐々に順位を下げます。スタートで出遅れたマルケスがトップに立ってそのまま逃げ切り、今季2勝目。
ロッシはいい感じだったけど勢いのあるクラッチローが勢いそのままにロッシをパス。クラッチロー2位ロッシが3位。クラッチローの勢いは本物ですね。ロッシも調子良さそうです。

今回もCRTのアレックスはすごかったですね、アプリリアがドゥカティ・ワークスの前を走るなんて考えられん!アレックスとクラッチローはマシンよりライダーが速いと感じさせてくれますね。

ストーブリーグの話題も入ってきましたね、まぁ予想はしてましたが、ニッキーの今季限りでのドゥカティからの離脱が発表されました。これでワークスのシートが一つ空きました。
今年移籍市場で一番のライダーは間違いなくクラッチローですが、そのクラッチーローはヤマハが猛烈にヤマハ陣営での残留に向けて交渉中というような話が出てきましたね。
これはヤマハとしては当然でしょうね、僕もクラッチローにはヤマハに残って欲しい。
ヤマハワークスはロレンゾとロッシのコンビを崩せないんだけど、なんとかワークス待遇的な形でクラッチローに最新型を供給してほしいな。テック3でワークスマシンか、前のレプソルみたいにヤマハワークス3人体制とか無理かな?テック3にワークスマシン供給が現実的か!?
クラッチローにしてもヤマハを離れる場合ホンダワークスには入れないわけで、そうなると、ホンダサテライトでも、ドゥカティワークスでも今のテック3ヤマハより遅いわけだから、移籍しない、ヤマハを降りない、という選択が一番いいと思うのは僕だけではないでしょう。

CRTは2年間やってきて、来年は大きく変わるというか、CRTはなくなる方向ですね、レースを面白くするということで、こういう改革をどんどんするのは賛成ですね。
どこかの国の野球とはえらい違いです、ドラフトの完全ウェーバーくらいすぐに導入できんかね!
話はそれましたが、マレリのECUを使えば買い取り制度がなくなるのかな?
これによってヤマハとドゥカティがエンジンのみの供給をすでにいろんなチームと話あってるようですね。フォワードレーシングはヤマハエンジンを使うかも。
アプリリアも買い取り制度がなくなればもっと速いエンジンを供給できる可能性があるわけだから楽しみですね。それにホンダの売り切りレーサー?RC213V?これを使うチームも出てくるでしょうしマシンの種類が増えて楽しくなりますね。

さぁラグナセカと思ったら、ロレンゾがラグナセカ入り!もう走るのか?今回は医者団も休憩をアドバイスしてるようだけど大丈夫かな。
毎日MOTO GPのニュースが気になって仕方ない!

2013年7月18日 (木)

【オードリー・ヘップバーン】昼下がりの情事

オードリー・ヘップバーンの昼下がりの情事をやっと観ました。

「暗くなるまで待って」といい「昼下がりの情事」といい昔の日本の映画人のタイトルは絶妙ですね!
内容や予備知識がまったく無いと、タイトルだけでヘップバーンの濡れ場シーンでもあるのか!?と思ってしまうじゃないですか!
まぁそう思ってしまう自分があほなだけですが。最近はAVなんかでお手軽に若い女の子が脱いでおられますが、昔はそうはいかないですよね。

さて「昼下がりの情事」元のタイトルは「LOVE in afternoon」です。直訳だと”午後に愛して“とでもなりますか。

「ローマの休日」「暗くなるまで待って」と観てきて、そのストーリー展開と練られたシナリオにびっくりしましたが、今回の「昼下がりの情事」も最後まで観る者を引きつけてくれます。

おやじが探偵をやってるところの娘という設定ですね。そしておやじの事件ファイルを片っ端から読んでしまってる!
ひょんなことから大富豪の不倫常習犯に出会ってしまい、なぜかその男のことが好きになってしまうんですね。
そしてオードリーは自分のことはひた隠しに隠す。そうされることで、男はオードリーのことが気になる。しかも、オードーリーとは昼間にしか会えない。ここが「昼下がりの情事」なわけですな・・・

しかしオードリーは本気で男を好きになってしまってるみたい!

これまた偶然から男がオードリーのお父さんの探偵にオードリーのことを調べる依頼を!

最後ははらはらさせてくれます。
しかし最近のお金かけてドンパチやってはらはらさすのとはわけが違う!
ほんとに観終わった後にいい映画だな~と思わせてくれますね。

日本の地名 雑学事典

日本の地名 雑学事典:浅井建爾

副台に”地理と地図が大好きな人のための”、とあります、まさに地図大好きの自分には面白い本でした。

この本を読もうと思ったのは、旧国名と旧国の境界を知りたかったからです。
いま僕が住む宝塚は兵庫県ですが、旧国名では摂津の国にあたります。摂津と言えば現在大阪府の北西辺りに実際に摂津市があるので、そちらをイメージしてしまうので、結構離れてる宝塚が摂津とはちょっとピンとこないですね。
それに旧国名と現在の都道府県が一致してるところもあればいくつかに分かれてたり、現在の都道府県をまたいでいたりします。摂津の国も現在の大阪府の北部と兵庫県の南東部がその範囲だったのですね。

もっと詳しく全国の旧国の地名と位置や地域を覚えたいのだけど、すぐには頭に入らないですね。
旧国名と一口に行っても時代によって呼び方や、範囲や国の数も違うのでとても難しいです。

劇的に日本の形が変わってくるのはやはり明治時代以降ですね。
それまでの江戸幕府の支配に代わり明治時代になり、欧米列強に対抗しようと、日本のシステムを大幅に変えようとした中で、行政区分も地名までもそれまでとはガラッと変わってしまいます。
あまりに細かくわかれ過ぎてると行政はやりにくいでしょうから、ある程度大きな町にしていくのはいいと思いますが、それによって古くからの伝統ある地名がどんどん失われていってるのは残念ですね。最近でも平成の大合併によって地名が変わったりなくなったりしたところがずいぶんあるようです。

雑学ということで、各地の地名の由来を紹介されていますが、二つだけ僕の意見と違うところがあるので、そこだけ取り上げましょう。
まずは「奈良」です。平す(ならす)から来ていて、奈良盆地の平坦な様子からきてる、それが大方の見方だと。
「奈良」が「平す」からきてるという説は初めて聞きました、僕は前にブログでも書きましたが、「奈良」は韓国語の国を意味する「ナラ」からきてると思ってます。この説は言語学の先生なんかでも言っておられる方がいらっしゃいますね。
もうひとつは「大阪」です。本書では上町台地に坂が多いから「大坂」で坂の字が悪いというので阪に変ったとされてます。これは古代史を勉強してるとかなり違和感がありますね、上町台地の下と上を行き来してるからそうつけられたということでしょうが、上町台地がにぎやかになるころはまだ上町台地の下には町はなかった!!それ以前から大坂という地名はある。
僕が考えてるのは、地名とは国の中心地から見てつけられることが多いのです、そのことは本書にも書いてある、たとえば「前・中・後」がつく国は京都や奈良から見て近い側が「○前」の国というように。
それではなぜ大阪かというと、奈良から大きな坂を越えた向こう側の国が「大坂」だったのじゃないかと僕は思ってます。大和川沿いを行き、二上山の大きな坂を越えたら行ける国、そこがいつしか大坂と呼ばれるようになったのではないかと思っています。

2013年7月15日 (月)

宝塚の歴史を歩く

宝塚の歴史を歩く:直宮憲一

やっとこの本に出会えたという感じです、それよりやっと直宮先生に会えたという感じですね。

この本のことは出版されたときから、宝塚の教育委員会の方が退職を機に書かれたと紹介されていた記事を読んでいたので知っていました。
そしていつか読まないと、それに宝塚で古代史の専門の人がいるのだったら、いろいろと教えていただきたいな、とずっと思っていたのでした。
しかし、そうこうしてるうちに、本のことは気になってたけど、本の名前も著者の名前も忘れてしまってました。

なかなか素人が用事もないのに教育委員会に行く勇気もなく過ごしていたんですが、先日家の近所の道標を見てみたら、市の説明板だけ残っていて、道標が見当たらない!
これはちょっと教育委員会に行くよい口実ができたかな、ということ市役所に行ってみることにしました。
まずは役所の知り合いに久しぶりにあいさつに行って、こういうのはどこに聞けばいいのかを尋ねたら、社会教育課だと教えていただき、その足で社会教育課に行ってみたのでした。

あんまり一般人が訪ねて行くようなところではないので入りにくかったですが、行ってみると、入り口に一番近い席の方が丁寧に対応していただきました。
僕が「安倉の道標が見当たらない」、と聞きましたら、「ありますよ」と事前に撮ってた現場の写真を見せたら、「これがそうです、ぼくも近所に住んでるので、しょっちゅう散歩がてら見てますから」と言われまして、その方が僕の目の前辺りに住んでることが判明。

そのまま話の流れで、以前に職員の方が本を出された件を聞いてみると、「あの本僕が書いたんです」と言われるではあ~りませんか!
なんといきなり対応していただいてたのが著者の直宮先生だったとは。

もう著作は書店にはないけど、図書館にはあると教えていただき、さっそく図書館で借りて読んだというわけです。
その時に僕も歴史には興味があるのですというような話をしていたら、最近記事にもしてる、”たからづか歴史散歩 ガイドブック”をいただいて、宝塚の史跡廻りも始めたというわけです。
前置きが長くなりましたが、初めて社会教育課に訪ねていって直宮先生に偶然会えてホントにラッキーだなと思いました。

図書館で直宮先生の本を借りるにあたって、蔵書検索をしたら、「宝塚の歴史を歩く」「宝塚の歴史ガイドブック」「摂津文化を学ぶ講座」の3冊がヒットしたので3冊とも借りてきました。

さぁ「宝塚の歴史を歩く」ですが、まさに宝塚の先史時代から現代までの宝塚のことが詳しく解るように、丁寧に解説してあって読みごたえもあります。
宝塚の地名の由来から入り、縄文時代の宝塚地域の人口を推測したり、また宝塚の歴史を説明する為に周辺の川西や伊丹、それに一見宝塚から離れるような話題に感じることもありますが、そういう宝塚にまつわることの周辺をかなり掘り下げて書いてあるので、非常に勉強になりますね。

それに先生は考古学が専門なので、中山荘園古墳、長尾山古墳等の実際に携わった事業はもちろん詳しく書いてありました。

宝塚市民はもちろん、宝塚市に興味がある方は必読の書と言っていいでしょう。

「宝塚の歴史ガイドマップ」は宝塚ガイドソサエティという団体の方が書かれた宝塚紹介本です。直宮先生の監修で非常に簡潔に宝塚のことが紹介されています。

「摂津文化を学ぶ講座」は県の阪神北県民局主催の講座をまとめたものです。
6回の講座のテーマは”街道を学ぶ”で阪神北地域、京伏見街道、小浜宿、多田街道、西国街道、巡礼街道などが取り上げられてます。
直宮先生は”巡礼街道と西宮街道”について語られてます。
最近サイクリングをするのに、旧街道が非常に気になってきた自分としては面白い本でありました。

旧街道というのは、当たり前ですが、自動車のために作られたのではなくて、主に人が徒歩(かち)でいくための道ですね。たぶんみなさんも自転車なんかで移動するときは車道より裏道なんかを使うことがあると思いますが、そのいま裏道とおもって通ってるところが、実は昔のメイン道路だったりします。
旧道は徒歩でできるだけ楽に行けるように設定してあったりすることが多いので、自転車で走っても、自動車用の道より勾配が緩やかだったりします。
みなさんも一度意識しながら通ってみてはどうでしょう。

2013年7月12日 (金)

橋の銘板

サイクリングコースではよく川沿いの道を行くのですが、初めはそのコースの紹介用に橋の欄干を撮っていたのですが、そのうち橋の銘板が気になりだして、写真を撮るようになりました。

今でもやはりサイクリングの時に橋を見つけると写真に収めています。
あまり理由はないんですが、意識してみると、こんなとこに橋があったんか!とかこの川は何川だ?なんてことがよくあります。

ブログで紹介するのは大変なので、画像だけアルバムにアップするようにしました。
記事の右の”橋の銘板” というところなんですが、リンクも貼っておきます。

http://naga500.cocolog-nifty.com/photos/hashi/index.html
⇑ここに行っていただくと画像集になっております。

ぼちぼちアップしております。

Img_1318_2     
絹延橋ー猪名川ー川西市絹延町ー池田市木部町
Img_1323_3
中橋ー猪名川ー川西市小戸町ー池田市新町
Img_1358
毛斯倫大橋ー神崎川ー尼崎市戸ノ内ー淀川区加島
Img_1375
上寿橋ー大堀川?ー宝塚市寿町
Img_1403
桑津橋ー猪名川ー伊丹市桑津ー藤の木
Img_1407
猪名川橋ー猪名川ー尼崎市田能
Img_1415
上園橋ー藻川ー尼崎市猪名寺ー田能

2013年7月10日 (水)

【宝塚】たからづか歴史散歩・ガイドマップ①

たからづか歴史散歩:ガイドマップ 

たからづか歴史散歩:ガイドマップ② 
たからづか歴史散歩:ガイドマップ③ 
たからづか歴史散歩:ガイドマップ④
たからづか歴史散歩:ガイドブック:街道・道標

改訂版 が出てます。変更箇所はこちらを見てください。

歴史散歩マップにポイントを落としましたこちら からどうぞ。
既に行けたところは結構正確な位置です。
道標・街道マップも作りました。
マップの街道筋は、今も道路が残ってるところもありますが、道筋が変っていたり道が無い部分等は想像で線をひいてる部分もありますので、参考までにしていただければと思います。

市役所で直宮先生にお会いした時に、宝塚市が作った市内の歴史的遺産を紹介したガイドブックをいただいたので、サイクリングがてら市内の史跡巡りをしています。
このガイドブックを頼りに史跡巡りができるか?という確認もしてみたいと思います。
40年近く宝塚に住んでますが、これを見れば知らない場所も多いですよ!

このガイドブックは宝塚市内の観光スポット等に置いてあるのでしょうか?
確認してませんが、市役所の教育委員会の社会教育課に行けばたぶんもらえるでしょう。僕はそこで直宮先生に直接いただいたので。
ガイドブックの設置場所も今度確認してみましょう。
旧和田家住宅には置いてあるそうです。しかし部数は少ないようです。

宝塚市内には、弥生時代から現代にいたるまで多くの歴史的なものがあり、それを地図で場所を示し、反対の面には簡単な説明書きが書いてあります。
おそらく直宮先生が作られたのだろうと思いますが、建物等の場所が75か所、街道筋を5街道、道標を24か所、道路元標を4か所紹介されています。
あわせて何箇所でしょうか・・・たくさんですね。108か所ですね・・・
いま数えて気付いた、108の煩悩の数に合わせてあるのか!
偶然ではないでしょう、仕込んでありますね。これまた先生に質問ですね。
追記:直宮先生に聞きました!108は偶然だということでした。

ということでこのガイドブックを頼りにヴァクセンくんで廻ってるのですが、宝塚市もそこそこ広いし、神社や石碑が結構わかりにくいところにあったりで、結構時間がかかります。

これまた今気付いた!
説明書きの前の数字が地図のポイントの番号です、それはすぐ解るんですが、史跡名称の後ろの【G-6】は地図の枠外、上にアルファベットが右側に数字があるのでその交点に目的地があることを示してるんですね。結構親切ですね。今気付いたけど・・・

それでは宝塚の史跡めぐりと参りましょうか。
今までばらばらに紹介してきましたが、一番から順番に紹介するように改良していこうと思います。
画像の無いところはまだ行けてないところです。ガイドマップの紹介文は太字で書きます。

ガイドマップの1~18までを紹介します。
仁川から小林、逆瀬川、宝塚方面です。

1・五ヶ山古墳群【D-8】
五ヶ山古墳群には4基の古墳があり、1号墳(既に消滅)・2号墳は西宮市、3・4号墳は宝塚市にあります。宝塚市の指定史跡の4号墳は、公園内に保存されており、全長10mほどの横穴式石室を持つ円墳で6世紀末から7世紀初頭にかけて築かれたものです。
Dsc_0083_2
画像は3号墳です。ここは20年ほど前はまだ住宅地にはなってなくて見晴らしのいい夜景スポットでしたね、イノシシも出ました。ここのすぐ先に2号墳があります。

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4号墳もやっと行って来た。ここ解りにくいですね!住所は仁川高丸3丁目15。
近くの給水塔の下のところから階段で上がっていくと公園があります。

Img_0267
看板の奥に石室がむき出しになった古墳があります。ここからの景色も素晴らしいですね。

Img_0269
給水塔の登り口。

以前この古墳にペンキでいたずら書きをされたそうですが、風雨で自然に消えたそうです。

2・弁天池【E-8】
阪急電車で仁川駅から小林へ向かうと西側に大きな池が見えます。この池は弁天池と呼ばれ灌漑用のため池でした。「仁川の大池」とも呼ばれ、子供たちを池に引っ張り込む池のヌシが、逆に子供たちに捕まえられたという民話も伝わっています。
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仁川駅の競馬場側の反対、山側(西側)にこんな大きな池があったんですね、知りませんでした。きれいな遊歩道も整備された公園になってますね。

3・熊野神社【E-8】
伊邪那美之命などを祭神とする神社です。奈良の春日大社からこの熊野神社へ雌雄2頭の使いの鹿がやってきた時に、雌鹿の姿を見失った雄鹿が、井戸に映った自分の姿を雌鹿とまちがえ井戸に飛び込み死んだため、塩漬けにして奈良に送り返したところから「鹿塩」という地名ができたとの伝承があります。
Img_0242

弁天池から線路沿いに行けばここに出ます。階段を上れば神社です。

Img_0243

4・宝塚(阪神)競馬場【F-8】
4月に行われる「桜花賞」や7月の「宝塚記念」などのレースの開催地として有名な競馬場です。雄大な建物はパドックとともに、チョウが羽を広げたような大屋根でおおわれ、宝塚のランドマークの一つになっています。
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阪神競馬場は皆さんご存知でしょう。阪急仁川駅からすぐです。建て替え整備で奇麗になりましたね。建て替え直後に震災があって建物自体が動いたなんて話を聞きましたが、ほんとのところはどうなんでしょう。馬をやらない人でも普通の公園として整備されているところがあるので子供がいる方は遊びに連れて行ってあげたらいのではないでしょうか。
画像は仁川駅前、小曾根線に出たところから。

5・高司素盞嗚神社【F-7】
素盞嗚命をまつるこの神社の本殿は一間社流造で、江戸時代前期に造られたものです。左右の相殿も江戸時代中期に建てられたもので、同一社内で江戸時代各時期の建築が見られる貴重な例として兵庫県指定の重要有形文化財になっています。

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この神社の森は小林から新橋に続く大きな道路から見えてるんですが、通りから入るので知らなかったです。画像は神社本殿に見えますが、この建物は江戸時代の本殿を守るように建てられた覆屋ですね。この中に古い本殿があるようでした。

6・小林聖心女子学院本館【E-7】
昭和2年に建築された本館は、アメリカの建築家レイモンドが設計した鉄筋コンクリート造りの建物です。教室、講堂、礼拝堂、などを配置し、角を曲線にするなどやわらかい印象があり国の登録文化財になってます。
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小林駅の近くから見える教会。学校の入り口を探すのに苦労した!小林駅から線路沿いに南に行って線路をくぐるように山側に抜ける道を行くと学校の入り口があるんですね、知りませんでした。この道はほとんど聖心専用ですね。

7・逆瀬川砂防堰堤【B-7】
逆瀬川上流域は、ひと雨で千石の砂を流すといわれるほどの荒れ地でしたが、明治時代の後半から全国の先駆けとして築かれた砂防堰堤などにより、流域の水害は大きく減りました。

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逆瀬川沿いを西高のところまで登って行ったところあたりです。橋を渡った右岸側が公園として整備されてます。ここも何度も横は通ってたんですが、訪れたのは初めてでした。

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県の事業として整備されたようで、砂防ダムや治水に関する説明書きが公園のオブジェのような建物の中にありました。

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オブジェの中の説明書き。

8・宝塚神社【E-6】
明治以前は山王権現と称して崇拝を受け、昭和40年には素盞嗚神社を合祀して宝塚神社と改めました。境内からの眺めはすばらしく初日の出を拝むには絶好の地です。また、1月10日の宝塚えびす祭りは大変にぎわいます。

Img_2163
宝塚神社も初めて訪れました。逆瀬川の駅からちょっと小林寄りに西宮街道を行ったところにあります。武庫川の西側はあまり行かないし、とくに阪急今津線の山側はまったく知らない感じですね。阪急線が平地の一番山側を通ってるんですね、今津線を越えるとすぐに急な上り坂になります。ガイドの説明にもありますが、境内はちょっと登るだけですが、見晴らしはすごくいいですね。
宝塚神社を降りてきたところの会館の角に道路元標Aが、そこから東に行って西宮街道との交差点に道標1があります。

9・平林寺【E-6】
宝塚指定文化財の木造釈迦如来坐像を本尊とする平林寺は真言宗のお寺で、寺伝によると聖徳太子の開創と伝えられています。境内に置かれている石像露盤は宝形作りのお堂の屋根に置かれるもので、鎌倉時代のものです。

Img_2170
平林寺さんも初めて行きました。線路沿いすぐのところにあるのに全然知りませんでした。しかし今津線を越えるといきなり山が始まる感じなんですね。宝塚神社のすぐ北側になります。西国三十三所巡りがありまして、そこに沿って登っていくと宝塚神社とつながってる。

Img_2177
石造露盤

摂津三十三所第二番札所、摂津八十八所第七十三番札所にもなっている。御朱印は東側の塔頭で。

10・一本松地蔵【E-6】
かつて逆瀬川駅前の県道に面して、樹齢500年あまりの巨大な一本松があり、旅人の休憩場所になっていましたが、樹勢が衰え昭和33年に伐採されました。逆瀬川の繁栄はこの松の生命力を譲られたものとされ、その後、身代わり地蔵がまつられ「一本松地蔵」と呼ばれています。
Img_2180
このお地蔵さんは意外なところに在りましたね。アピア1からアピア2に渡った所です。ここは人通りの多いところだし、僕自身も何度も側は通ってますが、今回初めて気付きました。毎日逆瀬川駅を利用してる人でもこのお地蔵さんのことを知らない人が結構いるのではないかと思いますね。

Img_2181
石の説明板。

11・伊和志津神社【E-5】
平安時代に書かれた「延喜式神名帳」にその名を残す古い神社です。かつては武庫川の川辺近くにありましたが、水害を避けるため今の場所に移ったといいます。二間社春日造杮葺の本殿は江戸時代中頃のもので、宝塚市指定の文化財です。
Img_0072

伊和志津神社さんも横の道は何度も通ったことがあるし、神社の下にトンネルを通したんで、どういう風になってるのか気にはなってましたが、訪れたのはこのマップ企画をしたからですね。
西側に自動車の入り口がありますが、本来の入り口は東側に鳥居があります。
いま方角を確認したんですが、この神社東向きですね。どうも宝塚市の西側地域は方角が分らない!安倉に住んでると山に向うと”北”六甲山が”西”なんだけど、逆瀬川は武庫川から分かれたところから南に振ってるから東西南北が分らなくなります。

Img_0070
こんな立派な鳥居があるなんて知りませんでした。しかも階段が続いてる。
この階段の下に新しい道路をトンネルで通してるんですね。

12・伊孑志の渡し【F-5】
西宮と小浜をつなぐ西宮街道が武庫川を越えるところでは、江戸時代から橋が無く、「伊孑志の渡し」と呼ばれる渡し舟がありました。この伊孑志の渡しは大正の頃まで残っていたということです。
Img_2184
渡しの石碑がこんなところにあるのを知ってる人が一体何人いるんでしょうか?
武庫川の堤防上にあるので、ここを散歩などをしてる人は石碑があるのは知ってるかもしれないですが、これが伊孑志の渡しとは気付いてないかも。
宝塚中学校の裏側になりますね。

13・宝塚ホテル【D-5】
古塚正治が設計したホテルで大正末年から昭和、平成にいたる約80年にわたって宝塚のランドマークであり、大正期のモダニズムを残す唯一の建物です。外観は切り妻屋根が残る4階建ての郊外型リゾート様式のホテルです。
Img_0056
宝塚ホテルは友人の結婚パーティーで一度入ったことがあります。
その時は意識してなかったけど、その時に入った部屋は旧館の方だったのかも!映画「阪急電車」でも出てきてましたね。
現在は駅に向いて新館の正面玄関が東向きにあり、旧館が横に立ってるのは実は知らなかったです。しかも旧館は南向きで現在の入り口とは違ったのでしょうね。

今年2015年にこの宝塚ホテル旧館の取り壊しが発表されましたね、残念です。

14・宝塚温泉【D-4】
明治20年に開業した宝塚温泉は、炭酸ガスを含んだ塩類泉で神経痛・疲労回復などに効果があり、宝塚市発展の基礎になりました。平成14年1月には「湯の町宝塚」の復活をめざし新しい温泉施設がオープンしました。
Img_0048

宝来橋の北詰、宝塚駅側からの温泉です。阪急の宝塚駅から橋を渡ればすぐ温泉街です。有馬温泉もやっと2年ほど前に初めて行ったくらいです。この宝来橋も再建ですね。昔は細くてしょぼかったイメージがあります。

やっと行ってきた。男性より女性用の施設の方が充実しています。
手ぶらで行っても大丈夫です。その日もハイキング途中の団体さんが来てました。820円です。透明な銀泉と茶色の金泉に入れます。レンタル水着を借りれば岩盤浴等も楽しめます。

15・塩尾寺【C-5】
室町時代に悪疾をわずらった老婆が観音様の功徳により、武庫川岸の柳の木の根元から湧く塩からい霊水で病を治し、その柳の木で彫った十一面観音像を塩尾寺にお祭りしたという話が伝えられています。この霊水が宝塚温泉の源泉だともいわれています。
Img_0215

はじめ「えんぺいじ」と読めなかった。お寺の存在自体最近知った。宝塚温泉のところから細い道を上がっていきます。登り口のところから途中までに道標3・4・5があります。甲子園学園のところまではキャド10くんで漕いで行けましたがそこからは押して登りました。まだまだ鍛え方が足りませんね、また塩尾寺アタックしますよ!
まだアタック成功ならず。

16・宝塚大劇場【D-5】
大正3年に誕生した宝塚歌劇の華麗なステージは多くのファンを魅了し、宝塚のイメージをかたちづくっています。誕生当時、室内プールを改造した舞台から始まった歌劇場は火事による焼失や戦争末期の海軍による接収など幾多の変遷を経て、現在の建物は平成5年に建てられたものです。
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宝塚市のシンボル!宝塚歌劇!!
これのおかげで「宝塚に住んでます」というと宝塚を知らない人には100%「いいとこに住んでますね~」と言っていただけます(笑)中学生のころに一度だけ観賞しに行ったことがありますが、また子供を連れて行ってみたいですね。宝塚市民なのに一度も見たことがないというのはちょっと残念すぎるかな。
昔はこのあたりで茶髪のお姉ちゃんを見れば”宝塚の人”でしたが、いまは高校生でも茶髪だからぱっと見は、見分けつかないですね・・・

数十年ぶりに宝塚歌劇を観た。これは宝塚市が市民向けのサービスとして2回ほど市の貸し切り公演をしたときに2回目の抽選に当選して観ることができた。

この大劇場の門をくぐって(だれでも入れる)右の駐車場方面に行くと「宝塚海軍航空隊跡地」の石碑がある。

17・花のみち【D-4】
宝塚駅から宝塚大劇場などへ向かう「花のみち」は、春は桜が咲き誇るなど華やかで宝塚のイメージを象徴するような道といえます。中央部の歩道が一段高くなっているのは、もとはここが武庫川の堤防だったからです。
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さくらの時に行って来たので差し替え。

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大劇場の前の部分。小説「宝塚海軍航空隊」で終戦のどさくさで花の道が削られて通りやすくなったとされてるところか。

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宝塚といえば「小林一三先生」大劇場前にあります。

宝塚駅から歌劇場まで続く道ですね。昔はファミリーランドもあったし土産物屋さんとかいっぱいあってにぎやかな感じでしたが、いまはすっきりしすぎてちょっとさみしいですね。

18・手塚治虫記念館【E-5】
世界的な漫画家、手塚治虫が5歳から24歳までを過ごした宝塚での生活は、作品を作る上で大きな影響を与えることになりました。記念館では、映像ホールや手塚作品のライブラリー、アニメ制作体験など様々な形で「手塚治虫の世界」を満喫することができます。
Img_0035_2
手塚治虫記念館もこのたび初めて中に入ってみました!
あまりアニメ好きでもないし、手塚先生に特別な思い入れもないので今まで行ってませんでした。
しかし、手塚先生の偉大さだけではなく、現在のアニメの歴史も分るし、そのアニメの歴史での手塚先生の果たした偉大な功績も解る素晴らしい施設でした。
自分の勝手な思いこみで、そんなに人は入ってないんじゃないかと思ってましたが、さすがは手塚治虫の名前はすごいんですね、結構観光客風の人が入ってたのでびっくりしました。市外や県外からも訪れる人があるんでしょうね。

最近この手塚治虫記念館の後ろ側、旧ファミリーランドが開発されて記念館横にも道路が通った。

2013年7月 3日 (水)

【グーグルマップ】使い方

グーグルマップに自分の気になる場所にポイントを置いていくことができるのは前回紹介ましたが、説明書は無いし、ヘルプ見ても解決しない・・・

ということで自分なりにグーグルマップを使ってみて、理解できた操作を書いていこうと思います。
裏技とか特殊な使い方を紹介するとかではないです。普通に使うための方法です。

中途半端で止まってますが!なぜかいま作ろうとしてるマップには目的地が置けない!
理由は不明!
もともと地図上にある地点はすでに情報がグーグルに登録してあって、クリックで情報を表示、そこから保存、という方法でも目的地を追加できるはずだけど、なぜかできない!
せめて手動で目的地を追加できるように復活してほしい!

相変わらずなぜか目的地をクリックしてもポイントを置けない!
しかし別な方法で目的地を置くことができました。
ポイントを置きたいところで”右クリック”出てきたメニューの中の”目的地を追加”これでポイントを置く。目的地のメニューに名前を入れる。
これでできますね。

【マイマップを作る】
☆グーグルマップ、グーグルアースを立ち上げます

左側が編集用画面、右側が地図画面ですね。

★左上のマイプレイスをクリック

そうすると、”すべて””マイマップ””スター””その他”のボタンが出てくる。
その下に赤地で地図を作成ボタンが出てくる

地図を作成ボタンをクリック

タイトル   無題

説明  (空白)のところにカーソルが来てる

★タイトルを書き込む

いまから作りたい地図の名前をタイトルの”無題”となっているところに書き込みます。たとえば「レストラン」とか「ラーメン屋」等ですね。僕は「神社仏閣」なんてのを作ってます。

ここまでは準備ですね、ここからは実際に地図上に自分のポイントなりを置いていくことになります。
まずはポイントを置きましょう。

右側の地図画面には”ハンドツール””目印””””ズーム””ストリートビュー”などのボタンがあります。

★地図をズームして書き込む所を表示する

右側の地図画面は日本列島が全体に映ってるので、これでは正確なところにポイントを置けないので、自分の書き込みたい場所をズームして大きくしましょう。

☆ズームする方法は
地図の左側にある+、-をクリックか、マウスのダイヤルを前に回すとできます。
その時だいたい自分の表示したいところ付近でダイヤルすると近くに来ますね。
ずれると、地図上をクリックしながら動かせば、地図が動くので、ちょうどいいところに持っていきましょう。
左の編集画面の上の方にある”近畿””九州”などのボタンをクリックするとどんどん詳しい位住所が出てくるので、それでもズームできます。

☆ハンドツール

地図の左上に”手のマーク””風船みたいな印””折れ線”のボタンがありますが、はじめ何もしてないときは”手のマーク”のハンドツールになってます。
ハンドツールではさっき行った地図をクリックして動かすことができます。
何も選んでないときは基本ハンドツールになってますね。

☆目印

目印ボタンを押すと風船みたいなのがついてきます。それを自分の目的の場所にクリックしておきます。
そうすると、そのポイントに対する編集画面が出てきますので、タイトルを書き込みます。

左の編集欄の完了を押せば終了です。

目的地は一つのマイマップで200か所まで登録できるようです。
言いかえれば200か所しか登録できません。それ以上登録するとどうなるかというと、
201か所目からは”地図2”というようななまえで自動でマップが作られそちらに登録されます。
目的地と線等の情報あわせて200箇所なのか、それぞれ200箇所なのかはまだ確認できてません。

とにかく動きがわかりにくい!立ち上げてるマップ以外にも目的地を保存できますが、立ち上げてるマップから違うマップに登録しに行くより、あらかじめ新しいタブでグーグルを立ち上げて、まっぷの作業のたびにタブであらかじめマップを移動しておく方がやりやすいです。

続きはまた・・・

2013年7月 1日 (月)

【MOTO GP】ラグナセカはデ・アンジェリス!

怪我でずっと欠場中のドゥカティ・ライダーのベン・スピーズに代わって、ラグナセカは現在MOTO2でフォワードレーシングから参戦中のアレックス・デ・アンジェリスがスポットで呼ばれたんでしょうか?

MOTOGPのフェースブックに記事が出てるようですが、残念ながら英語は理解できないので詳細はわからないです。

ベン・スピーズは去年から怪我続きで調子が戻らないままシーズンインして、流れが悪いままですね。
このままだと、これでシートを失うかもですね。

気が早いですが、カル・クラッチローはヤマハのワークス待遇が得られなければテック3を離れる可能性が高いですね。そうなるとどこかのワークスシートを求めるわけですが、スズキは再来年からなので、現実的にはドゥカティのワークスシートしかないと思う。
そうなると必然的にニッキー・ヘイデンとスイッチということになるけど、世界最高峰の舞台では何が起こるかわからないので、今年のストーブリーグの一番注目はカル・クラッチローですね。

僕の希望では、テック3のままで、マシンはワークスというのが一番ヤマハ陣営にとっていいと思うんだけど。契約途中でバレとスイッチはできないだろうしね。
来年からスズキが復活ならスズキ入りが一番良さそうだったけど、15年に延期が発表されたから、クラッチロウからすると待てないね。

しかしいくらワークスバイクに乗りたいからといっても、CRTのエスパロガロより遅い、もちろん今、自分が乗ってる、サテライトのヤマハより明らかに遅いドゥカティに移るのも、全然いい選択とは思えないんだけどどうでしょう?

それと、エスパロガロはプロトタイプに乗る資格が十分すぎるくらいあることを証明してるので、来季はどこかに移籍でしょうね、どこになるかは全然読めませんが。

あと先日ドゥカティがスコット・レディングに興味を示してるという話が出てましたが、ドゥカティサテライト入りは十分あり得そうですね。

来月ぐらいから契約が発表されていくと面白いですね。

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