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2013年6月 5日 (水)

なにわ考古学散歩

なにわ考古学散歩:大阪市文化財協会 編

前にも一回読んでるのですがどうせ内容を覚えてるわけないので再読です。

この本をたどっていけば大阪市内にある遺跡をほんとど訪れることができるそうです。

まさに一章ごとに地図でルートと遺跡が紹介されてて、どこにどんな遺跡があるか非常に分かりやすく紹介されています。

まずは大阪の成り立ちから。
古代の大阪は上町台地を残して大阪湾が今の東大阪や八尾辺りまで来てたのです。そして縄文海進が終わって淀川や大和川が運んできた土で平野部が広がっていったのですね。

だから今の東成から東大阪方面は古代遺跡はないのですね、人が住んでないので。

上町台地は車で通っていても感じることができるくらい上りますね。
特に西側、松屋町筋側から谷町筋に行こうとすると結構急坂になります。
上町台地の西側は大阪湾に面してるので波で削られて崖状になってる、反対の東側は河内湾から河内湖と段々平野になったので坂はそれほど急じゃないですね。

散歩で回れるくらい狭い範囲で紹介されてるのでかなり詳しいですね。そして開発によって発掘されたところの後にできたビルや学校などに展示してある発掘遺物や展示場も紹介されてて非常に参考になります。

この本に紹介されてるところは大阪市内だし、行けるところはできるだけ回ってみたいなと思いますね。

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コメント

こんにちは

大阪市内を走りなれると 大阪湾から東側と北側に向けて微妙に登り道に成っていますね。
知ったのは昔々 トラックに乗っているときに あるトラブルで気がつきました。(笑)

住吉神社の前は海だったようで 梅田界隈は湿地帯だったようですね。

連続投稿で失礼します。

本町の船場辺りの地面を十数メートルも掘るとヘドロの色した砂が現れヒトデや貝殻が有ります。(笑)

たしか何十年前に丸紅の建物を建設の時に地下から小判がザクザクと現れたニュースが有ったのを記憶しています。(笑)

彦左衛門さま
縄文時代の大阪平野は上町台地だけが舌状に陸地が伸びてたようですね。
今も大きなビルが大阪市内で建設されてますが、ほとんど遺跡調査などしてないでしょうから考古学ファンとしてはちょっと残念です。

こんばんは

四十年前に聞いた話で大阪市内で地中線を埋設工事で石棺が発見され 中の御遺体が ちょんまげで顔に刀傷が有ったと聞きました。

大阪市内は結構 遺跡が有るでしょうね。

彦左衛門さま
日本の平野部からちょっと山に入ったところ辺りには遺跡が眠っていそうですね。
これは昔友人に聞いた話ですが、奈良の住宅街の開発ではいろんなものが出てきてたみたいですが、いちいち行政に報告してたら開発が進まないので目をつぶって開発を進めたところもあるようなことを聞きました。まあ噂話ですが。
今よりも順法意識や古代の遺物についての理解が低かった昭和の開発ではありそうな話と思いました。今年も建築業界は常識を超えた手抜きが発覚しましたしね。

こんにちは
お疲れ様です。

噂ではなく事実です。

遺構が発見し報告すれば工期を止め完成が延長し莫大な費用が必要に成るために無理矢理に工事を推し進めたのは横行していました。
行政も黙認(怒)
たしか茨木市に大きな遺構が発見されて長い間 発掘されていましたね。

彦左衛門さま
こうして表には出ていない話だけど複数の人間が同じようなことを知ってるということは、やはりそういう昭和期の無理な開発で破壊された遺跡がたくさんあるということなんでしょうね。
開発業者だけの責任ではなくて、当然行政側の担当者もグルになっての隠ぺいが考えられるわけで腹立たしいですね。
先日奈良方面に仕事で行った時、住宅街の真ん中に結構有名な古墳があるのを知りました、さすがに大きな石室が出てきたときは隠せなかったんでしょうかね(笑)

こんにちは

昔々からの奈良の知人の話で奈良では高層建築の許可が下りないのは何処でも浅く掘れば必ず遺構が出る為だと聞きました。(笑)
地元の方々も畑や他の小さな工事などで知っているのでしょうね。(笑)
大阪や阪神間の平野も遺構が多いかと…掘ればお宝がザクザクと現れるかと…(笑)

ナガオカ様

追記
奈良では他人の山林を勝手に我がの土地 山の様にする連中が多いと聞いています。
終戦直後の大阪の様な輩が居ている様です。要注意

彦左衛門さま
奈良は工事をしようとすると何か出てくるので工事が進まないようですね。
昭和期の初めはまだ考古学というものも確立されてなかったでしょうし、遺跡に対する理解度もなかったでしょうから、平気で古墳を削って土を取っていたようなことが普通にあったようですね、これは本に書いてありました。
今でも工事で何か出てきても現場の人間は価値も分からず捨ててしまうようなことがあるんでしょうね。
実際宝塚の道標巡りをしましたが、新名神の道路工事で道標が行方不明になっています、1本は記事にも書いてますが僕が見つけて再設置されてます。
他にも見当たらない道標が数本あります。

ナガオカ様

おはようございます。
宝塚の詳しい方に一三さんと仲の良かった平塚さんが一番 宝塚について詳しかったのではと思います。
平塚一族
親は親交が有った様ですが…
優しい叔父さんのイメージしか覚えておりません(笑)
歴史を知るならは平塚一族の方に聞けば何か判るかも知れません。

しかし 過去の歴史ある証を壊してまで乱開発には情けなく思います。
歴史が今を生きる知恵の宝庫ですからね。
古くからある地名と同様に…

全てが金だけでは計り知れない財産が有ります。

彦左衛門さま
平塚さんですか、いつか繋がったら面白い話が聞けるかもですね。
工事での歴史遺産破壊、遺失はまさに行政の縦割りも大きな原因ではないかと思いますね。
ほんと歴史の証人である物があっさり失われることに驚きます。

ナガオカ様

たしか宝梅の昇天さんに平塚さんの名前の石碑が有ったと記憶しております。ご参考までに

彦左衛門さま
いまだに宝塚聖天にさえまだ行ったことがないんですよね、まだまだ宝塚の中でも行くべきところが残ってるようです。

ナガオカ様

昔々の記憶では昇天さんに十字架の大きなお墓もあり無宗派のところですね。
今は零戦も有るようですね。

彦左衛門さま
宝塚聖天さんは零戦が置いてあることで有名ですね、たまにメディアでも取り上げられたりしてます。
昔から知ってるんですがいまだに行ったことがない(笑)

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