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2012年11月17日 (土)

告白

告白:湊かなえ

文字通り事件関係者の告白という形をとってます。

関係者も少なく難しい言葉もあまりないのでさらっと読めてしまいますね。推理小説ではないですね、多分。
読んでいて”あれ?と思う感じを持ちつつ読み終えました。

最後の解説部分(文庫版)は小説を映画化した監督のインタビュー記事です。
これを読んだら、この小説は登場人物のことを深読みしたらいろんな見方ができる、そして深読みしすぎてわからなくなる、と書いてありました。
それに、映画に出演した中学生に小説を読んで議論もさせたそうですね、そこでも自分に置き換えて、自分だったらどうするか?とかいろいろな意見が出たそうです。
ぼくはあまり考えずさら~と読んじゃったんだけど、解説を読んだ後内容を想いかえしてみた。

ここからは内容にも触れます。

まず、読んでいて最初からなんとなく違和感を感じながら読み進めていきました。
最初のホームルームの場面。担任が終業式の日の最後のホームルームで事件の真相を喋ります。しゃべり続けます。これにまず違和感を覚えた。
隣のクラスは先にホームルームを終えて帰り始めます、それでも延々話し続ける担任。隣のクラスの生徒もこんなに長いホームルームだと気になると思う。しかし春休みが終わって2年生になって学校が始まってもこの話の内容が完璧に外に漏れない。
これは読んでるときには”小説だからまぁいいか”と流していたけど、やっぱりこういう状況は難しいと思う。

A君はエイズ患者の血を仕込まれた牛乳を飲んで、その日のうちに自分がエイズを発症しているかのような行動をとるのも変に思った。直前に担任はホームルームで「日常生活ではエイズは感染しない」とはっきり言ってるにもかかわらず。

そして、その血液の入手場面がまた怪しい。エイズをすでに発症している同居人が寝ているときに血を抜いたと。血を抜くぐらいだか血液採取用の注射器を使うんだろうけど、素人がそんなものを入手できるのか?科学の先生は持ってるのか?寝てる人間は注射針刺されて血を抜かれてるのに何にも反応を示さないのか?

牛乳パックに、多分注射針で血液を注入する、それをエイズ末期の同居人はあとをつけて行って目撃する。さらにその牛乳パックをさらと入れ替える。
この中でも疑問がいくつか。
そのエイズを発症した人は2~3ヶ月後にはなくなっている。ということは末期であったということでしょう。あまりエイズについては詳しくないけど、末期のエイズ患者の人は薬とかの影響でがりがりにやせてて、あまり動きまわることはできなさそうなんだけど、実際はどうなんでしょうか?ぼくにはフレディ・マーキュリーのイメージしかない。
学校にそんなにたやすく部外者が侵入できるとは思えないし、誰にも気づかれずにそこまでの行動ができるのか。代わりの牛乳はどこから調達したのか。2個なくなったのだったら、それが学校で問題にならなかったのか。

最後の場面は衝撃的な結末ということで話題になったらしいですが、爆弾をどのように仕掛けたのか。
その爆弾を担任はこれまた誰にも気づかれず解除し、持ち出し、さらに他の場所に仕掛ける。
具体的な方法は一切書かれていない。その辺の時間軸もはっきりしない。

という感じで、想いかえすと疑問はたくさんあります。
その辺のディテールというんでしょうか、描写がなんか省かれすぎてるように思う。リアリティーさを感じなかったのはそういう理由からかなと思う。

事件の衝撃さのわりに読んでいてドキドキしなかった。なんかSF小説の世界の出来事のよう。

全然違うかもしれないが、大沢在昌氏の新宿鮫シリーズは刑事もののハードボイルド小説で、あり得ないような事件だらけだけど描写が丁寧で読んでいてドキドキしますよ。

いろんなことを書きましたが、この小説を批判してるわけではないです。あくまでも素人の感想です。小説自体は面白かったです。読み終わってから考えたら以上のようなことに気付いただけです。

最後にもうひとつ、少年Aに語らせる”死刑観”についてです。原文をそのまま引用します。

「殺人は悪である、と本能で感じる人などいるのだろうか。信仰心の薄いこの国の人たちの大半は、物心つき始めた頃からの学習により、そう思い込まされているだけではないのか。だからこそ、残虐な犯罪者が死刑になるのは当然だと認めることができるのだ。そこに矛盾が生じているにもかかわらず。」
ここからはぼくの個人的な意見です。
残虐な殺され方をした人の遺族が激しく死刑を求める、そしてそれを自分のことに置き換えてみたときに、やはり犯人に対して死刑を求める気持ちを、日本人の方は持つ人も多いのでしょう。死刑を肯定的にとらえる意見も依然多いようですから。
さあその死刑肯定の理由ですが、”信仰心の薄いこの国の人”が学習によってそう思うと言わせていますが、そこはぼくの考えと違う。
これは井沢元彦氏の本で気付かされたことですが、日本人には、それよりも日本で生まれ育った人ならば”自然に身につける宗教心”のようなものがあるのです。学習により身に付くのとは違う。学習すると死刑反対になる。
それを井沢氏はわかりやすく”日本教”というようなものと言ってますが。その中に日本には昔から怨霊信仰というのがあるのです。ひどい殺され方をした人は厚く葬らなければならない、そしてそんなひど殺し方をした奴を生かしておいては死んだ家族が浮かばれない、そう思う遺族は当然のように犯人に死を求めるのではないかと。
ここではこれ以上は書かないですが、死をもって償ってもらわなければと思ってる人は意外と多いのではないでしょうか?

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