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2012年9月 2日 (日)

蘇我氏と古代国家

蘇我氏と古代国家:黛弘道 編

歴史文化セレクション 古代を考えるというシリーズの本です。

蘇我氏といえば古代史では欠かせない豪族ですね。6世紀7世紀あたりに活躍していたんですね。稲目、馬子、蝦夷、入鹿の代が一番栄えていたということになりますか。

蘇我氏の歴史は稲目が天皇家にとりいって急に勢力が大きくなり馬子と聖徳太子の時代があり、乙巳の変で入鹿が切られ、大臣入鹿が家を焼いて終わる。主なところは、ものすごく簡単にいえばこんな感じですか?

もうちょっと詳しく見ていきますか。稲目の前に建内宿禰―石川宿禰―満智―韓子―高麗という系譜が伝えられているけどそこの辺りの実在性については解らないことのほうが多いようです。しかし満智以下3代が韓半島に由来する名前であることから蘇我氏が渡来人氏族だという説が根強くあるようです。
稲目からは日本書紀等に出てくるのでいろいろと解ってきます。

出自は大和だと漠然と思ってましたがいろいろな説があるんですね。石川宿禰がいるところから、河内の石川出身。橿原の曽我あたり。そして馬子が葛城の地を祖先の物だから蘇我氏の物にしようとするところから葛城も候補です。

日本書紀の記述は天皇家に都合がいいように書いてあるので、蘇我氏は徹底的に悪者として描かれています。しかし天皇家の側近として活躍したことは間違いないのでしょう。この本では天皇家の食膳奉仕に蘇我系の氏族がずっと仕えてることを取り上げて、ここから蘇我氏が渡来人の氏族ということは考えにくいという説が書いてありました。これは自分には納得のいく説でありました。

また蘇我氏といっても枝分かれした氏族も複数あり、乙巳の変後も生き残っています。
倉山田石川麻呂は壬申の乱でも生き残り、その後裔が石川氏と名前を変えて生き残るんですね。しかし平安時代にもう一度”そが”に戻します。宗岳と書くようです。”ムネタケ”と読むそうですが、当時は”ソガ”といっていたようです。

最後に河内の石川周辺の紹介をされていますが。羽曳野市にも飛鳥という地名がいまでもあることを初めて知りました。近つ飛鳥博物館にときどき行きますが、ついでにこの辺りをいままでも散策していましたが、これはサイクリングついでに行くいいコース紹介だなと、こんど自転車を持って行こう。

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