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2012年7月 7日 (土)

豊饒をもたらす響き 銅鐸

豊饒をもたらす響き 銅鐸

大阪府立弥生文化博物館で平成23年に行われた夏季特別展のパンフレットです。
これも展示を見に行ったときに買ってはいたけど難しそうだったので今まで読んでなかったのを今回読んでみました。

前半は形式の説明から始まり、古い形式から画像でたくさんの銅鐸が紹介されています。
銅鐸は知っていてもその中の形式まで知ってる人はほとんどいないんじゃないでしょうか。ぼくも覚えきれません。
銅鐸の形式は鈕(ちゅう)といって銅鐸の上の取っ手みたいな半円形の部分で主に分けられています。形式は大きく分けると古い順から、”菱環鈕式” 外縁付鈕式” ”扁平鈕式” ”突線鈕式”となるそうです。この名前を聞いただけでは想像もできない。その中でも1式とか分かれてるものがある。
次に身の部分の模様でもいくつか分けてます。流水文や4区袈裟襷文なんかですね。それと後期の近畿式、三遠式という分け方もある。

画像の紹介はまるで写真集ですね。博物館で見るよりきれいに見えると思う。いろんな出土地がありますが保管してるところは様々ですね、中でも辰馬資料館の銅鐸がたくさん紹介されてるのに驚いた。辰馬資料館は銅鐸をたくさん持ってるみたいですね、西宮なので今度行ってみようと思う。

後半の専門家の先生の論文は読みごたえがあります。金関先生、難波先生、春成先生です。中でも難波先生は銅鐸の形式を細かく分けたり分類したりする専門家ですがその論文は内容が細かすぎてもはや素人向けの解説ではまったくないですね。ぜんぜんわからない。

銅鐸はまだまだ謎な部分が多いですね。今までに約600ほど発見されてるようです。しかし出土のしかたが、人里離れたところに単独で埋められた状態なのでその年代すら決めるのが難しい。祭りの道具だということはもう定説というか、そういう解釈になってるみたいですが、銅鐸を研究する専門家の先生は形式や状態を調べるのも大切ですが、もっと当時の日本の歴史的な背景や当時の人の文化、宗教観みたいなものをからめてもっと提案してほしいなと思う。もちろん文献とか無いので想像になるけど。

銅鐸製作地と銅鐸を使っていた場所は違うが、その流通の形態はどうなんでしょう?当時の大きな勢力を持った首長から地方の支配された首長へ送られたのか、それとも当時はそれぞれの独立した国々が自分たちが銅鐸の祭りをするために製作地まで入手に来たのか?この辺の考察は見たことが無い気がする。同じか似ている種類の銅鐸の分布によって勢力の連合みたいなものはあったのかな?銅鐸の終末期はわりとはっきりと近畿式と三遠式の分布状況は分かれるみたいだけど、何によってその違いが出てるのか、ゆるい連合が出来つつあったのか、祭りの種類が違ってきたのか。
考えればきりがないくらい謎だらけですね。
そして突然銅鐸の時代は終わる、なぜでしょう?

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