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2012年6月19日 (火)

三国志の時代

三国志の時代ー2・3世紀の東アジア
  橿原考古学研究所附属博物館:春季特別展

5月に見てきた特別展のパンフレットを一通り読んでみました。
2・3世紀というと日本は”倭”の時代で「魏志倭人伝」によって日本の研究がおこなわれている時代ですね。ですから当時の中国の状況も知っておかないといけないわけです。
ところで「魏志倭人伝」は通称で、こういう名前の資料は本当は無いのです。三国志の魏志の東夷伝のなかの倭人条のことを便宜的に「魏志倭人伝」といってるのです。文章としては約2000文字ほどだそうです。

三国との関係ということで鏡がたくさん取り上げられています。というのは記年銘鏡といって造られた年を彫ってある鏡があるんですが、魏の年代と呉の年代が記された鏡が日本でも出てきます。有名なのは”三角縁神獣鏡”ですかね。これは形と文様からつけられた名前ですが他にもいろんな形式の物があります。日本で発見される記年銘鏡の多くは”魏”の年代が書いてあります、「景初三年」とか問題の「景初四年」とかですね。
前にも書きましたが、我が町宝塚のしかも同じ町内の安倉からも発見されてるんですね鏡が!それが今回の展示で実物があったので感動したわけですが、これが”魏鏡”ではなくて”呉鏡”なのがいいですね。日本での出土例はわずか2例!呉の年代の「赤烏七年」が書いてある。日本ではほとんどが魏鏡なのに2例だけなぜ呉鏡なのか、しかもなぜ宝塚なのか?非常に興味深いです。パンフレットでは鏡の写真がたくさん紹介されてますが、中国では当たり前のようにたくさん呉鏡が発見されてるようです。

三角縁神獣鏡は”卑弥呼の鏡”なんて言われてましたが、いまは日本で造られていたというのが定説になりつつありますね。
今回、中国の鏡をみて思うのは中国鏡の大きさは12~13cmくらいが多いんですが、日本で発見される鏡は22~23cmと結構大きいんです。宝塚の呉鏡は17cmと微妙。

この”中国より大きい”というのは前から気になっています。古墳や銅鐸や鏡なんかの大陸からの文化が日本(倭か)に輸入されて消化されるとなぜ大きくなるのでしょうか?鏡は中国の大きさは手のひらサイズで実用的なんだけど、三角縁神獣鏡に代表される日本製じゃないかとされる鏡の23cmとかはとても鏡としては使いにくそうに思えるのです。そういう意味では古墳も銅鐸もある意味、無意味に巨大化していく・・・この辺の倭人の考え方を誰か説明してくれないかな。

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