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2012年4月16日 (月)

聖徳太子はいなかった:石渡信一郎

聖徳太子はいなかった:石渡信一郎

さぁついに石渡氏の本ですよ。この本を手に取った理由は以前ここで関裕二氏の本を紹介した時にコメントをいただきまして、そのなかで古代史をやるなら石渡氏の本を読んでから!と紹介されたので読んでみようと思ったわけです。

で、内容ですが・・・・・・これはちょっと理解できそうにありません。熱烈に薦められたわけですが石渡氏の説を理解できる人はすごいですよ、まず他の資料を見ずに理解できる人は古代史の資料が頭に入ってる人です、そうでない場合は関係資料を読み漁って理解するのに相当時間掛かります!僕は読み始めてすぐに理解できそうにないのでとりあえず最後までがんばって活字を追いかけましたよ。
関裕二氏の時にも書きましたが通説や定説を徹底的に批判して自説を展開する人の文章はあっちこっち飛んでいくし、やはりこじつけとしか思えないことや、明らかな矛盾があったりで読んでて混乱します。
けどなにが理解できないかを書かないと無責任だと思うので僕が疑問に思ったところをちょっとだけ書いてみましょう。

古墳の時代比定について石渡氏は今の定説は全く間違っているとしています。仁徳天皇陵とされている大山古墳は継体天皇陵だと断定します。それと考古学や歴史学で古墳の年代を決める指標の一つである三角縁神獣鏡だけを取り上げて、これが卑弥呼がもらった百枚の鏡ではないので古墳の時代設定が間違っているとも書いてます。

まず天皇陵ですが大体の年代を考古学や歴史学的に古墳に対して当てはめていますが、それはあくまでも通説ですよ決定ではない!それに古墳でも大きく分けて2種類ありますね、天皇陵等と呼ばれているものとそうでないものです。とくに今回の本で取り上げている仁徳陵と応神陵は天皇陵なんで宮内庁書陵部の管理で、まともな調査はいまだかつてされていません、考古学や歴史学の先生方が以前から調査のための立ち入りを求めてますがまったく認められていません、最近他の天皇陵でやっと立ち入り調査が認められた天皇陵が数か所ありますね、その程度です。だから仁徳陵や応神陵などと言ってるのは宮内庁が勝手に言ってるだけで考古学者が言ってるのではないし、考古学の先生も明らかに天皇陵の比定が間違ってると指摘してるものもあります。天皇陵の比定について歴史学会を批判するのは的外れでしょう。
それでも仁徳陵を仮に継体陵としましょうよ、そしたら高槻にある今城塚古墳はだれのお墓でしょうか?これには石渡氏はいっさい触れない!これはおかしいのですよ、茨木市に継体天皇陵というのがあるんですが、これはめずらしく歴史学的には間違っていると認定されてますね、だから堺の仁徳陵が継体陵でいいじゃないか、となりそうですがそうはならない。継体陵の東の今城塚古墳は天皇陵に比定されてない考古学的に幸運な古墳でして、発掘調査がなされています、そしてこちらが真の継体陵というのが今の定説なんですよ。ちなみに去年だったかな今城塚古墳は発掘調査を終えて横に資料館が出来てます。去年サイクリングがてらいきましたが、今城塚古墳から出てきた埴輪列のレプリカ展示はすごいですよ!これは見る価値ありです。

歴史学会が古墳の年代を三角縁神獣鏡だけで決めてるかのような記述もはなはだ疑問だし何も知らない読者の考えを誤らせるだけの不親切な説明です。三角縁神獣鏡は本文にも書かれていましたが今では日本で作られたものというのが定説なんではないでしょうか。古墳の年代は発掘遺物や埋葬形式などいろいろな方法で検討されています。とくに埴輪での年代比定は今はすごく細かくわかるようになってきてるのではないでしょうか。しかしこれも発掘調査済みの古墳に限られますが。

それと資料の取り上げ方のルールというかなんというか、たとえば石渡氏は日本書紀には本当のところは書かれてなくて嘘ばっかりだとかいたすぐ後で、日本書紀の記述をもとに話を進めるんですよ。他の資料も同じです。何を取り上げてなにがだめかの基準がわからない、たぶん自説に都合の悪いところは嘘で都合のいいところはほんとなんでしょうが。

石渡氏は天皇家が日本人であるということを歴史学会が守りたいために日本書紀の記述をうのみにしてる、そこには何か恣意的なものを感じる、というようなことを書いておられますが、ぼくが感じたのは、逆に石渡氏はどうしても天皇家が朝鮮半島から来たということにしたくてしょうがない、もしかしたら韓国や北朝鮮からお金でももらって書いてるのかなとか、どうしても日本は朝鮮の属国としないと気が済まないのではないかと思ってしまいましたよ。

こういう極端な意見は真ん中がなくて好きか嫌いかの両極端に分かれると思うんですが、試しに石渡信一郎でググったら面白いですよ。

そうそう聖徳太子はいないらしいです!用明天皇も実は蘇我馬子らしいです。

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コメント

わたしも石渡論の理解に半年以上かかりました。
石渡論のポイントは 古墳年代が 60年以上 通説より新しいことにあります。
で、以下の文章の感想を是非聞かせてください。


『大和民族大移動』
*日本書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治*

失礼無礼きわまりない話ですが、あなたが家系図を作成するとして、
実は、あなたのおじいさんが泥棒だったら、あなたはどうしますか?
昭和18年に隣の酒屋から酒5升盗んだ人だと正直に書けないですね。
でも、良心の呵責から、なんとかして泥棒行為を書き残したいですよね。
簡単です。じいさんに弟があり その架空人物が、盗んだ事にしましょう。
おっと、じいさんの弟はお墓が無くばれますね。では干支60年古くして
明治16年に、ひいひいひいじいさんの妹の夫が盗んだ事にしましょう。 

書紀は天皇様の見事な万世一系の家系図を書いた推理小説です。
太古から日本を統治していた事としたい。でも本当の事も書きたかった。
そのため、架空人物を多数創造した。時代も原則60年単位で古くした。
これが、真実を残すために書紀が取らざるを得なかった編集方針です。
もちろん、真実そのままの事も、どうしても書けない真実もありました。

では、架空実在人物が新旧入り混じった小説からの真実の救出法は?
 ①実在したご先祖のお墓や使用物の年代を正しく求めましょう。
 ②貴重な金石文を正確に読みましょう。
 ③地名や人名の語源を冷静に考えましょう。
この3つを追求整理したあとで 初めて日本書紀を読むべきですね。

石渡信一郎は、まず先に、上記①②③を 徹底的に、探究しました。 
①古墳や須恵器・土師器・埴輪の絶対年を正しく定めました。
 (過去の気象や磁気の変化を考古学の原則で追及した後に)
 例えば、弥生後期(5期)は260年頃から350年頃までとしている事
  及び 稲荷山古墳550年頃 で、鉄剣の辛亥年=531年
②七支刀・隅田八幡鏡・武寧王陵碑・稲荷山鉄剣を正確に解読した。
 (すみません。解読結果詳細は石渡氏と林氏の本を読んで下さい。)
③地名人名の語源を音韻変化の基本原則にのっとり追求しました。
 韓(カラ)⇒加夜(かや)・軽(かる)・茶屋(けや)・秦(はた)
大韓(カカラ)⇒大軽(おおかる)・各羅(かから)
南韓(ナムカラ)⇒難波(なには)・長柄(ながら)・中(なか)
東韓(スカラ) ⇒菅谷・早良(さわら)・日十(そか)・蘇我(そが)
大東韓(カスカラ)⇒飛鳥・春日・足柄・橿原・八幡(はちはた)
大東韓(キスカラ)⇒一須賀・石川・鬼前(きせ)・去来紗(いざさ)
大東韓(クスカラ)⇒樟葉・太秦・宇治(うじ)・太(ふつ)
昆支(コンキ)  ⇒誉田(ほむた)
  
今では信者のむらかみからむですが、石渡論の理解に半年以上です。
通説の古墳年代の根拠を知らず、通説年代は当たり前の事でした。
即ち、誉田山も大仙古墳も5世紀初頭と 無意識に思っていました。
さらに、百済皇子余昆が書紀では昆支だという事を忘却してました。

その昆支が倭の5王の武で、誉田山古墳に眠る応神でもある。
その弟が継体であり仁徳でもあり仁徳から武列までは架空である。
獲加多支鹵は欽明であり継体の子ではなく昆支の子である。
その息子がアメノタリシヒコで用明で蘇我馬子で聖徳太子でもある。
とくれば、なんでもありの飛んでも説をよくもここまでまじめに書くなあ。
石渡信一郎も林順治も トンデル人だ。と思ってしまいますよね。

しかし、音韻変化の原則から『飛鳥の語源は大東韓(かすから)だ』
の説明を熱心に 語っている文章の迫力には心を打たれました。
で、稲荷山鉄剣の辛亥年=531年で古代史を語る人は誰もいない。
の文章を読んだ時、この理論が他説を圧倒する事に気づきました。
通説の古墳年代を無意識に受け入れていた私がトンでいたのです。

なんと、小6の私の息子の社会の参考書にも書いてありましたが、
通説は稲荷山鉄剣の獲加多支鹵大王を書紀の中の雄略大王として
辛亥年=471年としてた。これを絶対基準に古墳年代を決めていた。
ワカタケルは大泊瀬幼武じゃない可能性の追求が甘いままでした。
おかしな話ですよね。書紀の記述が真実かどうか検討しているのに
書紀の記述の大泊瀬幼武の実在は真実からスタートしていたなんて。

結果的に、通説での全古墳の絶対年は60年以上古すぎたのです。
4世紀前半は弥生時代で、古墳時代はAD350年からなのです。
これは寒かった弥生後期5期が260年~340年頃でも裏付けれます。
『通説の古墳年代を 60年以上新しくして古代史を見直すべき』
との提案が石渡説の基本で他説との相違点で最重要ポイントです。
これが理解できないと石渡論はトンでる空想物語になります。

では、531年の根拠は?『完本聖徳太子はいなかった760円』より
①草冠ぬきの獲の字は 中国でも6世紀に初めて使用した。
②発掘関係隊長の斎藤忠も副葬品(銅わん等)から 531年説。
③稲荷山古墳と同年代の野々上窯の熱残留磁気測定結果。
④少し新しい江田船山古墳履が武寧王の墓の履と文様が似る。

石渡論は辛亥年=531年で須恵器や土師器や埴輪の年代を求めます。
典型例は『須恵器大成(田辺昭三)』を60年新しくしている事です。
で、全国の主要古墳年代を通説より基本的に60年新しく求めます。
さらに古鏡&刀の金石文と中国の文献で実存した人物の中から
その生存&死亡時期と照らし、各々の古墳披葬者を選び出します。
これで書紀に全く頼っていない石渡論の基本年表が完成します。

古墳------年代----被葬者
①箸墓-----385年頃-倭王旨(七支刀)   
②渋谷向山古墳-410年頃
③行燈山古墳--430年頃-倭王讃(宋書)
④五社神古墳--440年頃-倭国王珍(宋書)
⑤中ツ山古墳--450年頃-倭国王済(宋書)
⑥石津山古墳--475年頃-倭国王興(宋書)
⑦誉田山古墳--510年頃-倭王武・余昆(宋書)・日十(隅田鏡)
⑧大仙古墳---520年頃-男弟王(隅田鏡)
⑨見瀬丸山古墳-570年頃-獲加多支鹵(稲荷山鉄剣)
⑩太子西山古墳-585年頃
⑪石舞台古墳--620年頃-阿毎多利思比孤(隋書)
⑫天武陵(旧)-645年頃-ワカミタフリ(隋書)
⑬持統陵(旧)-645年頃

で、ここから初めてこの年表を書紀の記述と照らして検証していきます。
このとき、先述の音韻変化の原則から求めていた語源が役に立ちます。
コンキ⇒ホムタ や スカラ⇒ソガ や ウズ⇒フツは典型例でしょう。
こうして以下の本当の大王様の家系図の一覧表が探し出せました。

古墳---被葬年-本名-書紀の中の名前【家系図】
①箸墓---393-旨-ミマキイリヒコ【初代】
②渋谷向山-409-?-イクメイリヒコ【①の子】
③行燈山--438-讃-イニシキイリイコ【②の子】
④五社神--442-珍-ワカキニイリヒコ&ワカタラシヒコ【③の弟】
⑤中ツ山--462-済-ホムタノマワカ&尾張連草香【③の孫】
⑥石津山--477-興-カワマタナカツヒコ&凡連【⑤の子】
⑦誉田山--507-武・日十・余昆-昆支&ホムタワケ【⑤の子の婿】
⑧大仙---531-男弟-ヲホト&オホサザキ【⑤の子の婿。⑦の弟】
⑨見瀬丸山-571-ワカタケル-アメクニオシヒラキヒロニワ&蘇我稲目【⑦の子】
⑩太子西山-585-?-ヌナクラノフトタマシキ【⑨の子】
⑪石舞台--622-アメノタリシホコ-タチバナノトヨヒ&聖徳&馬子【⑨の子】
⑫旧天武陵-645-ワカミタリフ-善徳&蘇我蝦夷【⑪の子】
⑬旧持統陵-645-?-蘇我入鹿【⑫の子】

大和民族は『うるわしの土地』を求め大陸から大量に移動してきました。
まずは西暦330年頃から半島南部を、460年頃からは百済を通って。
1回目の代表は旨(崇神)、2回目は武(応神)&男弟(継体)です。
で、各々の起因は1回目が楽浪郡の崩壊、2回目は高句麗の南下です。
書紀の隠したこの事実は、現代日本人には小説(書紀)よりも奇です。
というより、受け入れがたく、石渡論を無礼者と思いますよね。

しかし、考えようによっては当たり前だったのではないでしょうか?
大陸は寒かった。温暖な飢えない日本列島は『うるわしの土地』だった。
新羅を置き去り、自ら大和民族大移動し、海を渡り来ていたのですよね。
さあもう21世紀です。石渡論が世に出て4半世紀も経ってしまった。
ぼちぼち古墳を60年新しくして、真実を考え、受け入れませんか?。

隣家の酒樽から酒5升分のお金が入ったじいさんの名前の財布が
見つかった。稲荷山古墳の鉄剣・隅田八幡鏡・七支刀のことですよ。
じいさんはお酒を飲んでお酒を買いに行き転んだ。よかった。無実です。
ひいひいひいじいさんに妹夫妻はいなかった。雄略大王もいなかった。

まだまだまだまだ書きたいことありますが 最後にまとめを書きます。

石渡論は古墳年代を正しく求めスタートします。そのあとで書記です。
ところが 不幸な通説は架空雄略大王の実在からスタートし迷走中。

石渡信一郎が真にすばらしいのは 日本書記の編集者たちが持つ
・ひとりの実在人物をふたり・さんにん・・と分けざえるを得ない苦悩。
・架空大王をひとりふたり・・30人31人と創造せざるを得ない苦悩。
・時代を60年120年180年240年・・神話へと古くせざえるを得ない苦悩。
すなわち、『真実が書きたい』と言う叫びを痛切に理解している事です。

見事な万世一系の筋書とは異なる飛んでた真実があるのだから
書紀は真実を書けば書くほどでたらめになる自己矛盾を持つ。
書紀は でたらめではない。でたらめにならざるを得なかった。
石渡説がトンでるのではない。飛ばされた真実を探しているのです。
『飛ばして申し訳ないという良心の呵責を持った家系図』も眠るはず。
これを見抜き信じるから、真実が救い出せるのです。すばらしいです。

私は近日、以上を前書きに『大和民族大移動』という本を買きます。
石渡信一郎を東大か京大の古代史教授に推挙するために。。で、
副題は『書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治』

とにかく皆さん 両先生の本 読んで古代史考えましょう。で、早いのは、
『古代史の謎を探る』か『倭韓交差』か『むらかみからむ』でネット検索。

またお越しいただきありがとうございます。前回も読ませていただきましたがいまの僕にはすぐに理解する知識がございません。
石渡氏の本について言わせていただくと、いろんな説があっていいと思うし何を書いてもぜんぜんいいと思いますよ、それで読者の僕がそれについて納得いくかどうか信じるかどうかは僕の勝手ですから。
それにしても石渡氏の本でいろんな説を書いておられますが、説明がはなはだ不親切だと思うのですよ、これは他の著作でも一緒のようですね。古墳の年代設定に対する説明にしてもそうだし、日本書紀に対する石渡氏の態度も一貫してないように感じました。石渡氏の本を読む読者がその著作を読むために他に膨大な量の資料を用意しないと理解できない本とはどうなんだろうか?
ちなみに僕は井沢元彦氏の著作はすごく頭に入ってきましたよ、代表作は逆説の日本史ですね。井沢氏も歴史学的には素人扱いなんですかね、しかし井沢氏が自説を説明するために本の中でかなり丁寧に資料分析をされていてすごくわかりやすいです。聖徳太子や法隆寺では梅原猛先生、上山春平先生が井沢氏より先なんでしょうが両先生は哲学者です、歴史をひも解くのに哲学的なアプローチをします、中には哲学用語でわからない言葉も出てきますがそこを飛ばしても考え方は徹底的に深く掘り下げる手法で非常に納得いくものです。しかし中には考古学の先生が批判されている部分もあったりしますが。
ということで石渡氏の本は説明がわかりにくく不親切、というか読者をけむに巻く感じ、天皇や古墳をいろいろ当てはめていきますが全部じゃないですよね、ところどころ天皇を消したり足したりじゃなくて、すべての天皇について検証するぐらいじゃないとだじゃないですか、せめて平安時代くらいまでは。
まぁ難しい本なのは間違いないと思います。

最近珍しい書籍を教えてもらいました、ご存知かもしれませんが、紹介したいのですが。
安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て30年ほど滞在し、日本語教科書を作るため、茶道を含む、日本文化を幅広く聞き書き収集して著した、「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。スペイン国王からはメキシコに帰る難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。
この本の終わりに、当時ヨーロッパ外国人が聞き書きした、日本の歴史が記載され、この頃あった、古代から伝えられてきた日本の歴史について知ることができる タイムカプセル でしょうか。これが戦国時代直後までの古代史の認識で、倭国年号が522年善記から大宝まで記載され其の後に慶雲以後の大倭年号が続きます。明治以後にはこの歴史認識は失われてしまったようです。日本語研究書と見做され、日本大文典の倭国年号のこの内容は、実物を手に取った人にしか分からない状態になっています、ウィキなどにも倭国年号の存在は記載されていませんので、ぜひ一度手にとってご覧いただければ幸いです。
ついでに
倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 続日本紀記載の720年「日本紀」は普通古代史専門家はこれを「日本書紀」と読み替える前提ですが、理由無く読み替えられない、別物という論証がされています。
宜しくお願いします。

いしやま様
コメントありがとうございます。
「日本大文典」ですか、知らなかったです。400年前にポルトガル人が書いたものとは、なかなか興味深いですね。
倉西裕子氏も知らないです、すみません。「日本書紀」が「日本紀」だ、というような話は読んだことがありますね。
またここを通じてでも、いろいろご教授してください。

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